バックナンバーはこちら

イギリス日記#6~10 (2014.7.28~8.1)

 

 

イギリス日記#6

屋敷は大きな森の中にある。朝、子供たちと分け入ってみる。神曲の冒頭を思う。ヨーロッパの森は、森林浴や癒やしとはかけ離れていて、むしろ闇や眠りとつながっている。子供たちは、ガサゴソと音がすれば悲鳴をあげてハリーポッターの怪物の話をしている。見上げる。いくつもの木が重なって人にも見える。エクセターカテドラルの大天井の梁と似てもいる。人は自然を真似るものだ。道が倒れた巨木で途絶えているので引き返す。南ウィングには持ち主のバーバーご夫妻と奥様のお母様つまりあの老婆?がひっそりと暮らす。北ウィングの一階と二階を今私たちが占有する。一階には、大きなダイニングとキッチン。トイレとシャワーのついたキングサイズのベッドのある部屋。そしていくつもの閉じられた扉。二十畳はあるだろう暖炉の部屋。仙台の家は、子供たちの名を呼べばすぐ届くが、ここは届かない。子供たち三人は二階にいるからだ。風の音山鳩の鳴き声。後は静寂。朝大きなテーブルで朝食。子供たちが作る!ロンドンのホテル、エクセター大学のゲストハウスで学んだイングリッシュブレックファーストをイメージしたようだ。スクランブルエッグ、ソーセージ、ビーンズ、ブレッド。パパだけティーがある。子供たちを見て驚く。なにが?ナイフとフォークをうまく使っていることに。そうらが一番うまいし。フォークの裏でビーンズをつぶす。これはまだのようだが。車がまだ直らず、午前午後と屋敷にいる。私の居場所は主に暖炉の部屋。ロンドンでジャティンダと議論してから気にになってしょうがないベニスの商人の3幕2場のポーシャのセリフ、とりわけバッサーニオが自分の夫なると決まった直後のセリフが。アーデン版のテキストを読む、が気がつけば眠っていて、大きなソファの中で夢を見た。老婆からこの屋敷にかつて住んでいたヒットラーの腹心ヘスと狩りの大好きなオーストリアの子爵ファブリスの話を聞いたからか、私はドイツ軍人にかこまれながら、パジャマにガウンの格好でシャイロックの3幕1場のセリフを、ユダヤ人の私には目がないというのか?と、鳥打ち帽を被った子爵に音読していた…ふと目覚める。ヘスがこの部屋で英国軍の尋問を受けた、と聞いたからかもしれないが、不思議な白日夢だった。大きな高い窓。ここはコンウォール のロストウィズルという耳慣れない、ケルト語かな?名前の地域の空が広がる。違う空間は心も変える。あっそうだ、ポーシャ。彼女のセリフが揺れているんだね。夫が決まってから、ヴァースつまり詩の書かれかたが、特に間が微妙なんだね。自信満々に読めない。セリフをしゃべってる、自分の考えを相手に伝えるという風じゃない、聞いているバッサーニオが自分の言葉を聞いたらどう思うかを意識して話はじめている。はっきりわからない。でも今までのボーシャの話し方じゃない、ことだけは確かだ。これ面白いよ!シェイクスピアさん、セリフ書きながら、役者にこうしゃべるんだよ、じゃなきゃポーシャじゃなくなる、って言ってるんだもの。あーッ。ジャティンのパワーはすごい。人を変える。動かす。彼は僕に一体なにを注ぎ込んだんだろう!(2014.7.28)

 

 

イギリス日記#7

車は戻ってきたが、道が狭い上にみんなスピードを出すので、運転がおっくうになって、どこにも行かないでいることが多くなった。こんな屋敷にいるのなら、むしろ出かけるのがもったいない。屋敷の中でボンヤリしたり、森を散策したりしていたほうがいい。子供たちは自然と比較を始める、イギリス人と日本人の。イギリス人はやさしい、みんな道を丁寧に教えてくれるし、他人のことを心配してくれる。でも時間を守らない、いい加減、雑。でも、なんだかゆったりしてせかせかしていない。きちんとさんの日本人はたいてい相手に対しても同じようにきちんとさんであることを求めがちなので、イライラしたり怒ったりする。イギリス人を見ていると、要領がわるくて鈍くてテキパキしていない印象をもつ。でもテキパキして、それがどうなんだ?と言われているような気もするのだ。ある超エリートアメリカ人銀行マンがロンドンに仕事を移した。彼と話す。彼のイギリスの印象は、時間の流れが遅いみんなよく休みトロイ(笑)。でも、と彼は言う。アメリカはなにもかも合理化してきて経済の頂点にある。イギリスなど相手にしていない、が憧れている、イギリスに、イギリスの時代に逆行しているような愚鈍さに、のろまさにあきれながら憧れている。結局、オリジナルなものを時代を動かすものを作ってきたのはイギリス人だからね、アメリカ人が認めない非合理性の中で生きているイギリス人は、深くて人間的なんだ。バカ!って罵りたくなるようなところがあるのだけれど、ほんとうに頭がいいなってかなわないなって思うんだと彼はしみじみ言う。僕はアメリカにはもう帰らないと。重いなあ。結局お金じゃない、心。(2014.7.29)

 

 

イギリス日記#8

この屋敷の主は、どうやら実業家のようだ。昨日、テニスコート二つ分ほどある緑の芝生で遊ぶ子供たちを見ながらボンヤリしていると、バーバーさんが、問題はありませんか?と近づいてきたので、快適であることにお礼を述べるると、日本の子供たちは行儀がいい(うちの娘たちは、さっぱりだけれど)と微笑んだ後に、イギリスの教育は全くダメ。年上を敬う気持ちが若者に全くない、礼儀もない、荒廃している、と顔を曇らせた。しばらく話し込む。ニック・バーバーさんの生まれは北イングランドのヨークシャー、おじい様はオーストラリア人で、奥様はタンザニア生まれのアフリカ人。実はまだおめにかかってはいないのだけれど、最初に屋敷を案内してくれた老婆が義理の母のようだからアフリカ人?でも肌の色は黒というよりブラウン。ロンドンに数日滞在して気がついたのは、ホテルやレストラン、バブ、バスや地下鉄で働いているのはほとんどが外国人であるということ。同じ島国でも、単一民族で成り立っている(最近は中国韓国人が増えてはきたが)日本とは比較にならないほどイギリスは多国籍国家だ。異質なものを受け入れる力、寛容力が否応なしに歯茎まれ求められる一方、コスモボリタン国家での子供たちの教育は問題が多いのかもしれない。(2014.7.30)

 

 

イギリス日記#9

昨日から、廣瀬純氏(僕は純ちゃんとしか呼んだことがないのだけれど)とご令嬢(いみじくもマナーハウスにいらっしゃるので)の奏ちゃん(そうらと同級生)がお屋敷の住人となる。男ひとりだったので、純ちゃんの登場は心強い。3人姉妹は4人姉妹となって、ガールズの結束はいよいよ固く、パパたちのいずれかがアンフェアなことをすると集中攻撃を受けて、私たちは苦笑いである。ママ不在の大ファミリーの生活が始まった。ここでは、私たちは、娘たちのシェフ兼ドライヴァー兼執事兼メイドである。空間の広さと雰囲気は、ひとの思想や情感に大きな影響を与えるのだ、と思う。純ちゃんとは、生活のことも大学のことも舞台のことも、よく話している。が、イギリスのこのお屋敷でふたりが話していることは微妙に違う。大げさな言い方をすれば、シェイクスピアさんがほんとうにすぐそばにいて、僕たちの話を聞き、話に加わる…そんな感じがする。ドキドキしながら言葉を探して発しているふたりがいる。(2014.7.31)

 

 

イギリス日記#10

ミナックシアター。岬の劇場。役者たちが美しい海と青空を背にして、演ずる劇場。昨日そこでミュージカルを見た。照明のないミュージカルを。演目はブロードウェイを舞台にした「プロデューサー」。夏の日差しが強くて子供たちが二時間半持つかどうかおそるおそるだったが、みんな釘付けだった。ストレートブレイならせりふだけそれも英語の、だから厳しかったかもしれないが歌と踊り、華麗な衣装という視覚が彼女たちの心をつかまえた。いやちがう、役者たちの魅力だ。イギリス人の役者は誰もが歌い踊る。その上、せりふを言い演技をする。それが当たり前だが、日本人ではそうじゃないから改めて驚く。芝居が終わりに近づいてきた頃、涙がにじむ。この涙は、なんだろう?と考えた。いくつものことが重なっているー海が美しい。子供たちが一緒にいる。この驚異と奇跡の劇場を創ったケイティというおばあちゃんの思い。ほんとうに楽しそうに舞台を生きているひとりひとりの役者の真摯な姿。この最果ての不便極まりないところまで文句も言わずわざわざやってきて芝居を楽しんでいる八百人のイギリス人。なんにも考えずに今ここにいる自分。なんて素晴らしい夏なんだろう!(2014.8.1)