冊子『恐山の播部蘇』 あとがきより

あとがき

 

シェイクスピア・カンパニー
主宰 下館和巳


 私たちの『播部蘇』は、一九九九年十月日本の東北恐山を出発して、翌年八月英国の東北エディンバラに至って燃え尽きた。舞台も命のようなものだ。そして、終りがいつか知っているからこそ、ここぞという時に存分に輝くことができる。
『マクベス』というスコットランドを舞台にした悲劇を古代日本の東北の風土に植え変える仕事をしながら、私は二つの国の北の歴史に面白いほどに響き合うものを感じていた。と同時に、共通語よりも東北弁のほうが魔女の魑魅魍魎やマクベス夫妻の葛藤をより鮮やかに描けるかもしれないと思っていた。ただ、私の母語である仙台弁だけでは『マクベス』の世界の大きさを到底支えきれないだろう、とも感じていた。
 東北弁について深く調べていくうちに、東北弁の語彙が古語とつながっていることを教えられて興奮しつつ、津軽、南部、庄内、秋田、仙台地方などの方言の語彙に内在する母音の豊かさやうねりに魅せられていった。そして、いつの間にか、東北地方の様々な言葉の中から『マクベス』原文のイメジャリや音にできる限り等質のものを選ぶようになっていた。
 脚本を書きつつ改めて気づかされたことは、方言が本来持っている日常的身体性は悲劇特有の非日常的様式性としばしば矛盾するということだった。更に沸き上がった矛盾は、一つのセンテンスが東北の異なる地域の語彙によって構成されることによって、純粋な方言に宿る独特のイントネーションが損なわれて、役者の言葉への感情移入と身体性の相関関係に乱れが生れかねないということだった。
 しかし、東北に生れ育った役者達の多くは狭い地域の音を乗り越えて、東北弁に固有のイントネーションを模索しつつ、命を持ったせりふとして輝かせることに成功したと、私は思っている。舞台語としての方言がある自然さを獲得するには熟成の時間が必要だった。そういう意味で、私たちの舞台が完成したのはまさにエディンバラにおいてだった。
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 エディンバラ公演の最大の問題点は、上演時間だ。恐山、康楽館、仙台、東京、多賀城で二時間二十分の『播部蘇』を八十分に縮める作業は、まさに私たちが『播部蘇』を通して一体何を伝えたいのかを明確にしていくことだった。
 芝居はマクベス夫妻の愛が確固たるものとなっているところから始まり、二人は王暗殺という同じ水平線を見つめながら並んで歩みだす。しかし、夫人に心の内をすベて明かしてきたマクベスが、夫人に秘密を持つ(バンクォー暗殺がそうである)ところから、二人の歯車がズレ始めて、マクダフの家族殺しで二人の亀裂は決定的になる・・・。
 この一本の筋を太くすることで、終幕に近いマルカムとマクダフのやりとりを始めとした数々のシーンの削除を余儀なくされた。削除によって原作に積み込まれた様々な要素が刈り取られ、作品そのものは痩せたものにならざるをえない。『マクベス』は四大悲劇の中では最もスリムな作品だが、シェイクスピアのせりふは常にポリフォニックな光を放っている。しかし、多元的な解釈を漂わせつつ、一本の筋を際立たせることは演出の重要な役割だ。
 私たちは象徴性ということを強く意識し始めた。一個の赤い手毬はその結果の一つであって、三度目の魔女訪問の後に、幻想としての手毬を抱えたマクベス夫人を無言で登場させ、続くシーンでマクダフの子はその手毬を持って遊び、家族の惨殺を知らされたマクダブは同じ手毬を抱きながら絶叫する。
 舞台装置はシンプルだ。恐山を具現する岩が数個と、そこに不規則に回転するように仕組んだ十数個の風車があるだけだ。戦闘のシーンでは、その質感と舞台の板を叩く音の独特の響きを重んじて竹刀が用いられたが、竹刀は時に馬、時にバーナムの森の枝となった。

 仙台公演を終えて、いよいよエディンバラに向けて舞台を再構築するという段になった時に、私は単独演出から山路けいととの共同演出へと方針を変えることにした。彼女と私の重なりつつも異なる感性によって、衝突しながら(それはある時かなり苦しいことでもあったが)演出にのぞむことで生まれたものは想像以上に大きなものだった。
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エディンバラ祭は戦後すぐに始まった、世界最大規模の最も歴史のある芸能祭だ。インターナショナルとフリンジの二つの部門があって、前者は既に名のある集団が招待され、後者は誰でも参加できる。そしてこのフリンジこそがエディンバラ祭のエネルギー源になっている。ミスター・ビーンもウディ・アレンもそこで脚光を浴びた。
 誰でも参加できる。が、三十五人の劇団員が英国に旅して一週間生活するのにかかる費用1千万程はどこからくるのか? エディンバラといっても劇場(ヴェニュー)の場はピンからキリまである。費用はプロデュース代の百万を除いて劇団員一人一人が汗水たらして稼ぎ、貯めたお金が解決した。助成金にあまり頼れなかったのが至極残念だったが、そのかわり自由な旅になった。
 いい劇場にあたれば、観客の問題もある程度解決される。が、いい劇場ではなかなか公演させてもらえない。一九九九年の夏、私たち劇団から三人のメンバーが劇場探しにエディンバラに向かった。プログラムもポスターもプロモーション・ヴィデオも持たずにだ。持たずにというより、まだ何も形になっていなかったから何も持って行けなかったというべきか。現地で得た情報から、私たちの芝居に最もあったスケールの最もエディンバラ城に近い(だから勿論競争率の高い)C too劇場に的を絞った。狙うならベストがいい。
 その劇場のプロデューサー、ケンプ氏となんとか面会できることになった時、私たちはこう言って私たちを売り込んだ。「日本で最もエネルギッシュなシェイクスピア専門劇団で、そのコンセプトはノース・ジャパン。黒澤を超える新しいマクベスを見せる」。ケンプ氏を何より驚かせたのは私たちが何の資料も準備せずに体と口だけでやってきたことだった。
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 ケンプ氏は私たちを選んでくれた! しかし、観客は来てくれるのか、私たちの芝居に力はあるのか、東北弁は凶とでるか吉とでるか。初日直前の私たちの気持ちは恐怖に近いものだったといってよい。

 観客がこないかもしれないのをだまって見過ごしているわけにはいかない。私たちは全員で上演時間ぎりぎりまでチンドン屋よろしく宣伝活動をした。祈るような気持ちで劇場入口に行くと、観客が列を成している! 一の蔵の吟醸酒を振舞いながら、「飲まずには入場しないで下さい」と言うと観客から笑い声があがる。芝居が始まる。私は親客席の一角に身を置いて観客の反応を見る。舞台に吸い込まれるように見入っている観客(ここで帰るか?というクライマックスで突然退席する観客も二人程いたが)を見て、私は体がゾクゾクした。芝居が終り、劇場から出てくる観客の紅潮した顔顔顔を見ると、私たちの『播部蘇』が彼等の心を動かしえたことはすぐ読みとれた。いい反応も悪い反応もすぐストレートに返ってくるのが日本と決定的に違っていて面白かった。
 五回に及ぶ公演には山も谷もあったが、最終公演は忘れ難いものになった。最後に至って初めての満員御礼、入場券売り切れ。そして、カーテンコールはスタンディングオベィションで迎えられ、観客の目に涙の光っているのを見て、私たちは皆泣いた。
 BBC、ロイター、ニュースステーション、東日本放送のクルーが私たちを取り巻く。その中で、ケンプ氏もインタヴューを受けていた。「なぜこの劇団を選んだのですか?」。私は思わす聞き耳を立てると、彼は時をおかず「情熱(zeal)を感じたからです」と答えた。私はその時、前例のない境内上演を許してくれた恐山菩提寺のことを思い出していた。なぜ許してくれたのだろうかと、喉まででかかってついに開けなかった訳をここで初めて聞けたような気がした。
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 シェイクスピア・カンパニーは道を歩き始めたばかりのまだまだ未熟な劇団だ。この冊子には私たちの耳に決して快くない言葉も敢えて掲載させて頂いたが、言っていただけるだけ有り難いと思う。褒められることにもけなされることにも励ましを感じて、いつも初めての舞台を思い出して新鮮な芝居づくりをしていきたいと思う。
 いささか長過ぎる「おわりに」になったが、最後の最後に『播部蘇』公演を支えて下さったたくさんの皆さんに、そしてこの冊子のために、貴重な時間を費やして原稿を書いていただいた執筆者の方々お一人お一人に、更に、この冊子の出版を快くお引き受け頂いた開文社社長安居洋一氏に衷心より感謝を申し上げたい。


キャスト

藤原弾家(ふじわらだんか) 犾守 勇
藤原麿家(ふじわらまろか) 里野 立
藤原道就(ふじわらどうなり)

土井敏之

清原播部蘇(きよはらまくべす) 両国浩一
播部蘇御前(まくべすごぜん) 星真輝子
安部磐乎(あんべばんこ) 戸田俊也
安部芙李鞍(あんべふりあん) 浅利由美子
安部播那夫(あんべまくだふ) 菅ノ又 達
播那夫御前(まくだふごぜん) 要 トマト
安部澪丸(あんべれいまる) 阿部かおり
物部零之(もののべれいの) 神蔵康紀
橘按蛾(たちばなのあんが) 塩谷 豪
大宅景周(おおやのけいす) 犾守 勇
平鷲和(たいらのしゅうわ) 迷亭沙翁道
平和之進(たいらのかずのしん) おさる
吉彦椎敦(きみこのしいとん) 石田 愛
五戸十兵衛(ごのへのじゅうべえ) 菅ノ又 達
軽米次郎(かろまいじろう) 岩住浩一
とよ 要トマト
錠兵衛(じょうべえ) 岩住浩一
よま[ごろつき] 土井敏之
くぼ[ごろつき] 塩谷 豪
ごんど[ごろつき] 神蔵康紀
薬師(くすす) 長保めいみ
真耶(まや) 浅利由美子
  おさる
オガミサマ[イタコ] 長保めいみ
ゴミソ[イタコ] 石田 愛
ゴゼ[イタコ] 西間木恵
鬼剣舞師 菅ノ又達
  里野 立
  戸田俊也
亡霊 土井敏之
  塩谷 豪
柵主奥方 石田 愛
  西間木恵
  阿部かおり
  長保めいみ
女中

要トマト

おさる

スタッフ

翻訳・脚本・演出 下館和巳

ステージ・マネージャー/演出助手

山路けいと
エディトリアル・マネージャー 鹿又正義
舞台技術監督 要トマト
音楽・音響 橋元成朋
舞台装置

梶原茂弘

千葉安男

照明 名畑目雅子
衣装デザイン 西間木恵
メイク おさる
ポスター,舞台オブジェ

佐藤正幸

ポスターデザイン 庄子陽
フォトグラフ 中村ハルコ

広報(東京)

礒干健

広報(ロンドン)

ジェイミー・バラード
会場係

千葉妙子

梶原祥子

アドバイザー

藤原陽子

松田公江

スーパーバイザー 大平常元

制作

シェイクスピア・カンパニー