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イギリス日記#11~15 (2014.8.2~8.6) 

 

 

イギリス日記#11

田舎に英国の神髄がある。ロンドンはロンドンでイギリスの本質ではない。ニューヨークがアメリカの中で浮いていて、アメリカ人があそこはアメリカじゃないというのに似ている。車で苦労している。それは、今度の旅が子供たちの寮生活の前後の二週間をロンドン、コンウォール、ケンブリッジと点々とするからでも、一番長く暮らすお屋敷が森の奥にあってどの駅からも街からもひどく離れているからでもある。みんな健康で元気でなければ完遂不可能な強行軍的冒険だ。昨日の夜、そうらの身体が熱くなって心配したが、うみはなに加えて奏ちゃんの甲斐甲斐しい看病で朝にはケロッと元気になる。よかった。田舎道は一方通行以下の狭さな上にくねくねで相互通行がひどく多いから、恐ろしい。それにスピードを出す。向こうから車が来たら?そうならないことを祈りながら走っているのだけれど…来てしまったら、どちらかが観念して何十メートルも引き返す。ミナック劇場への道では、農業用の巨大なトラックが、10数台の車と対峙。怪物のようなその車は一歩も譲らず、結局10数台の自家用車が引き返した。バカバカしいけれど、イギリス人は怒らない。寛容の国である。(2014.8.2)

  

 

イギリス日記#12

イギリス人はニコッとする。これが11年ぶりにイギリスに来て10日ほどたって最も強く印象に残っていることだ。日本人の多くがむっつりして歩いているし、どんな場合にもニコッとすることは多くないから、益々心に残るのかもしれない。相互通行の道路で道を譲られたイギリス人は、頭こそ下げないがニコッとする、つまりスマイルで感謝を表す。それで譲った方は許す。オーケーと思う。お店で道でチョコッと触れた時も、エクスキューズミーを言うか言わぬうちにニコッとすると許し許される。バブで待たされた時なにかを間違えた時、いやなんでもないただすれ違っただけでもニコッとする。それだけで、いい気持ちになる。ちなみにこれは子供たちからの報告である。この夏の三人娘のイギリスは、真っ白な画用紙に絵を描くようなできごとで、なにもかもが新鮮なのだ。そのことが僕に38年前の初めてのイギリスを思い出させてくれる。これからは日本に帰っても、大好きなイギリスのことを話せる仲間が毎日の生活の中にいると思うと、嬉しくなる。(2014.8.3)

 

 

イギリス日記#13

お屋敷をみんなでお掃除すると、エクセターにある大学に向かう。目的地は、ホープホール(つまり学生寮)のひとつ旧レイゼンビイ男爵邸だ。私は二十歳の時一年間をそこで過ごしたので、子供たちに見せたかった。今はもう職員の事務棟になっていたが、私がそこからいつも空を見て夢を紡いでいた大きな窓も、その真ん中に高い大木と落とし穴みたいに小さな池をもつ広い広い芝生にその扉を開くと続いている白いフランス窓も、38年前とおんなじだった。子供たちはパパが若い時に暮らした家を見て、ワーッと一斉に声をあげた。いいなーッパパ。そう言えばこの子たちのママと22年前に この庭に立った時も、ワーッいいなーッ和ちゃん、っておんなじ反応をしたっけ。でもあの時は、学生が住んでいて中にいれてもらってしばらく話をしたのだったっけ。青い絨毯はだいぶ傷んではいたけれど変わらずに使われていて、イギリスのよさ、ずっと昔のままにできるだけしておこうとする心に感じ入ったものだ。そこから、子供たちの入る寮まで車で一時間というところにある、ヘイゼルベリーという田舎のコッテージホテルへ。彼女たちの部屋は白雪姫の森の小人たちのそれのように可愛くて、四人娘は目をキラキラさせていた。その夜、私たちはイギリスに来て初めてレストランで食事をした。晩餐会。テーブルに付いたウェイトレスの女の子が大変礼儀正しくやさしくなんともいえない品性が漂っていて、子供たちも私たちパパも魅せられる。話をするとエクセター大学の学生で夏の間のアルバイトと。パパの後輩が素敵な学生だったので、みんな感心。私も鼻高々。子供たちがメニューからためらいなく(一番高い)ステーキ!を選び、私と純ちゃんは一瞬ひるむのだけれど明日から頑張りなさいよという意味でヨッシ!ということになったが、気がつけば私はフィッシュアンドチップスを純ちゃんはハンバーガーを注文して、ふたつともステーキの半分の値段だったので、ふたり家計を案ずるママの苦笑になったのです。でも夏の夜は10時過ぎまで明るく、ガラス窓から差し込む光に照らされる子供たち四人の笑顔がまぶしくて、ふたりのパパも思わずワインの杯がすすむのでした。それならステーキにすりゃよかったかな、とどこかで思いながら、希望と喜びにあふれたディナーであった。ブラボー、イングランド!(2014.8.4)

 

 

イギリス日記#14

レイゼンビイ。懐かしい響きだ。空間や場のスピリットは人のものの考え方や感性に大きな影響を与える、というよりも思想や感覚を形成すると言ってもよいかもしれなくて、今思えば、僕のグローブ座へのこだわりは、エクセターのレイゼンビイという屋敷から芽吹いたと言えるかもしれない。でもレイゼンビイとの出会いはまったく偶然だった。というのは、エクセター大学留学が決まって学生寮はシングルがよいか否かという問い合わせの手紙が来た時に、3人部屋などのほうが語学修得にはよいとわかってはいたのだけれど、どんなイギリス人と一緒になるかわからないし面倒臭いと思って、絶対にシングルでなければならない、みたいな返事を出した。のにだ、シングルルームのないホープホールの、それも保守性の濃いレイゼンビイ男子寮に配属が決まった。あの部屋に入った時のなんともいえない憂鬱な気持ちは今も思い起こすことができる。3人部屋になるならなぜわざわざ希望を聞いたの?という大学への不満があった。そして同じ部屋を共有することになったニコラスというロンドン出身の若者が大変ぶっきらぼうで愛想がなかたことが私の憂鬱を増した。そしてもう一人の赤毛のマーティンは無口でその憂鬱が軽減されることはなかった。しかし、このいやいやながら仕方なく暮らすことになったレイゼンビイでの丸々一年間が、僕をシェイクビアとグローブ座に向かわせることになったわけだから…人生は不可思議である。起きることは、みんないいことだ。寮生活を始める子供たちも、どんな子供たちと?どんな部屋で2週間過ごすのかしら? という不安と期待でいっぱいだ。はなは来る前から3人部屋と告げられていて覚悟があったせいで、ロシア人、中国人と一緒であることが戸惑いにはならなかったが、シングルを希望したうみが実はフランス人と2人部屋になってしまったと聞いても、僕は敢えてクレームをつけなかった。レイゼンビイのことがありますからね。よいと思ったことがそうではなくなり、よいと思わなかったことがよくなる。これが人生である。流れに身を任せるのもいい。(2014.8.5)

イギリス日記#15

子供たちの寮は、イギリスの大学の形態に準じていて、学習する場があってその周りに点在する寮に学生が暮らしている。寮生活こそがイギリスの教育の原点で同じ寮は同じ村、同じ部屋は同じ家のようになる。ひとつひとつの寮に寮母とアシスタントがいて、学生の生活をサポートする。食事医療掃除外部との連絡。携帯の使用は厳しく限定されていて、はなの場合夕方5時から一時間だけだ。パパふたりとそうらは、子供たちがきちんと寮に入ったことを見届けるとロンドンに向かう。ヒースロー空港のレンタカーの門限は10時。途中ロンドンに借りた家の鍵を不動産屋からピックアップしてスーツケースと食糧を家に置いてから空港に行くのだ。問題は時間。日曜日のロンドン入りは大渋滞に巻き込まれかねないから時間との戦いになる。車二台。カーナビを設定。途中携帯で連絡を取り合うことにして出発。既に午後2時。途中そうらのために水とサンドイッチを求めて後はひたすらの運転。ここからもう渋滞か?と思いきや左手にストーンヘンジ。ああこのためか。案外小さい。でも周り一面見渡す限りなにもない。どうやってどこからあの石をはこんだの?誰もが疑問に思うだろう。ロンドンに入る。ハロッズだマーブルアーチだ。交通量がもの凄く複雑なラウンドアバウトに冷や汗がでる。ヴィクトリア駅近くの不動産屋の前に着くように純ちゃんが設定してくれているはずなんだが…あっ着いたぞ、さすが。純ちゃんも数分違わず到着。日曜日で不在ということでメールで送られてきたメッセージには、床屋の隣に黒い扉があります、番号はナ二ナ二番号を押したらすぐ下のノブを右に回すと開く。開くと階段の5つ目の所に封筒が立ててありその中に鍵束がある、と。なんだかシャーロック・ホームズを思い出す。しかし、扉が開かない。どういうこと?が、ヒョンと開く。ふたり思わず顔を見合わせて微笑む。さあ、ダッシュだ。和巳さんの後追いかけますから、と純ちゃん。猛スピードでフルハムへ。が、途中ラウンドアバウトで出口を間違えてテムズ川を渡ってしまう、これで20分ロスだ。ひとつ間違うと戻れないんだ、ロンドンは。間違って渡ってしまった橋に戻ると後部座席にいたそうらが、はっきりと、キレイ。左を見ると息をのむほどに美しい夕陽!そして今渡っている橋の芸術品のような素晴らしさよ!間違いも悪くないでしょ、と後ろに続く純ちゃんにつぶやきながら、この夕陽の美しさよ、今までの人生が全部だまされたものだったとしても、それでいい、という詩の一節を思い出す。フルハムのマンションを発見。が、三階!エレベーター?ないし。ここで廣瀬純はスーパーマンかジェームズ・ボンドばりの動きを見せる。3つのスーツケースを部屋の扉の前までひとりで運び、扉にある3つの鍵穴と6つの鍵を見つめつ、右手と左手に鍵束をもって二刀流よろしく一気に攻める。わけのわからない鍵と鍵穴!僕はそうらとポカンとして見ていただけだが、悪戦苦闘の末…カチャッと音がして開いた。怪盗ルパンだね。荷物を置いてすぐ踵を返してヒースローへ。ここまでの仕事はすべて純ちゃんである。僕の仕事は値段交渉。この時のために僕はいる。感情的にならずに冷静に問題点を指摘してロジカルに話すこと。目標はエクストラ一台分の延長料金をゼロにして、更なる大幅値引きだ。目的達成には企みがいる。担当の若いイギリス人女性はじっと聞いて、わかりましたと、要求をそっくり飲んでくれた!その夜、ロンドンのマンションで乾杯。事故もなくみんな無事で車を返せたことに。夢のような時間だ、人生も夢。真夏の夜の夢。(2014.8.6)