下館和巳
第七幕
「情熱さえあれば」

プロフィール

1955年、塩竃市生まれ。

国際基督教大学・大学院

卒業。英国留学を経て東

北学院大学教養学部教

授。比較演劇選考。シェ

イクスピア・カンパニー

主宰


1949年、ひとりのアメリカ人俳優サム・ワナメイカーが、グローブ座の跡地を訪れ
た。
グローブ ( 地球 )座とは、まさにシェイクスピアがその傑作の大半を上演した劇
場である。しかし、サムはそこにこの天才的劇作家を記念すべきものがほとんど何
も残されていないことに失望して、グローブ座復元という大きな夢を抱いた。           
 その夢は、奇しくもサムが亡くなった3年後、50年近い歳月を経て実現された。
新グローブ座の誕生である。 オーク材で作られたその劇場は、 テムズ川の南岸に
ポコッと丸く建っている。
 私は、サムの死の1年ほど前に、無理を言ってサムに会った。さぞおっかないギ
ラギラしたおじさんだろうと思っていたら、そんなイメージは見事に裏切られ、情
熱を深々と抱えた、優しい紳士に迎えられた。そして、日本の東北に同じような芝
居小屋を建てたい、という私の無謀な思いをニコニコしながら聞いてくれた。 別
れ際に、 ゆっくりと力強く言った言葉は、 今も耳の奥に残っている。「お金じゃ
ないよ。 情熱さえあればいいんだからね」。そのサムがどんなに資金集めに苦労
したかは、半世紀という歳月が物語っている。それにもかかわらず、 最も大切な
のは「情熱」と言い切ったサムに、 私は深い敬意を抱く。                                    
 サムの劇場ができてから、私は頻繁にロンドンに行くようになった。サムと直接
会うことがなければ、私がこんなに新グローブ座に愛着を持つことはなかったろう
と思う。ロンドンに着くと、まるでおじいちゃんの住んでいた懐かしい家を訪れる
ような気持ちで、私はタクシーに乗って劇場に走る。                         
 劇場のすぐ前には、テムズ川が悠然と流れ、川向こうにセント・ポールの頭が見
える。シェイクスピアの時代には、あの大きな大聖堂で祈祷をした人々が、ある者
はロンドン橋を渡り、ある者は小舟で川を横切ってこの劇場にやってきた。パブの
おやじも肉屋のおやじも、みんな店を閉め、一張羅の服を着てめかしこんで、午後
の2時にはこの半屋外の芝居小屋に集まってきた。                             
 1599年にグローブ座が建設された時のロンドンは、既に人口20万人を超えるヨー
ロッパ屈指の国際都市だった。そして、劇場には、ありとあらゆる職業の老若男女
の観客がなんと3000人もひしめいていたという。                        
 今、世界中からやってくる観客でいつもその空間を満杯にしている夢の劇場を見
ながらサムはさぞ嬉しかろうとしみじみ思う。
                                     (つづく)


朝日ウィル 1999年10月5日号より