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更新日:2014.1.16

主宰 下館和巳

 

『新リア王』の舞台は鮨屋である。最近「どうして鮨屋なんですか?」とよく聞かれる。

 そのたびに「よくわかんないんですよね私も」と言いたいところをちょっとガマンして、答えを模索しながら話している自分がいる。  要するに、あれじゃないですか。音から考えればね、マクベス鮨って言ったら気味が悪いでしょ(中身を知ってのことでしょ)ハムレット鮨は肉屋みたいだし(ハムだから?)オセロは、むしろパーマ屋でしょ(はァ?でも、実は丸山さんとオセロの構想を最初に話しあったのは日本橋の鮨屋だったんだけれど、ホロ酔いで店を出てふっと見上げると「パーマ・オセロ」という看板があって、ふたりで大笑いした思い出があったっけ)なんと言ってもリア鮨でしょ(と先日ある取材に電話で答えていると、羽永が横で「パパ。ハムレ鮨だっていいよ」と)。

 私は、まだこう続ける。つまり、こういうことですね。原作の『リア王』のイメージとは結局なんの関わりもないわけです(だからみんな疑問に思ってるわけでしょう)。アッ!(どうやらここでようやくつながりをひらめいたようで)リアス式ですよ。グロスター伯はイギリスのドーヴァー海峡の白壁海岸から飛び降りたつもりで気を失う。原作の中では重要なシーン。その海岸を、私たちのリアス式三陸の絶壁に変えた時、リアは古代イギリスの国王から、大成功して財を築いた東北の港町の鮨屋の親爺に、変身したんですね、少なくとも私の頭の中では。(原作をどこかで読んでいる羽永は途中何度か納得しない風に頭をひねりながらも、「私の頭の中では」と私が言ったところで、許してあげようか、というやわらかい目になった)。

 ラーメン屋には毎日でも行く。しかし、鮨屋はちがう(回転鮨はここでいう鮨屋には入らない)。鮨屋は、いなせで粋だ。あきらかにハレの華の場だ。カウンターに腰掛けた瞬間、不思議と贅沢で豪気な気分になる。ラーメン屋を下に見ているのではない(ラーメン人間の私がそう思うはずがない。ラーメンはラーメンだ)。そして、職人。人の前にこれほど身をさらすシェフはいますか?鮨職人は稀代のパフォーマー、魔術師。その魅力の秘密を探てみたかったんですよ。

「ということは、初めに鮨、そしてリア王?」と問いつめられて、「どっちでも、いいんですよ、そんなこと、ね」と、そばで中トロ鮨つまみながら一ノ蔵の大吟醸飲んでうれしそうなシェイクスピアさんに私は同意を求めるのでした。