尾畠春夫さん・金足農業高校

更新日時 2018年8月25日 

作家 丸山修身

 

 今年の夏は暑かった。それに異様な頻度で台風が発生している。また7月には広島県、岡山県、愛媛県などを大きな豪雨災害が襲い、多くの犠牲者や甚大な被害が発生した。そんな中、僕を爽快にさせてくれる二つの出来事があった。

 その一つ。先日8月15日朝、12日から山口県周防大島町で行方不明になっていた藤本理稀(よしき)ちゃん2歳が無事、発見救出された。発見したのは大分県から捜索ボランティアでやってきた尾畠春夫さん(78)である。探し当てたのは早朝6時半、捜索開始からたった30分の快挙であった。行方不明から70時間に近かったから、もうちょっと遅れたらどうなっていたか分からなかった。母親も、もうダメかもしれないと思った、とそっと洩らしていた。

 その経緯はテレビや新聞でさかんに報じられたから、みなさんもよくご記憶のことだろう。理稀ちゃんは二日前の13日に満2歳になったばかりだった。

 

 それにしても快事であった。何よりも尾畠さんが良かった。先ず、顔がいい。いかにも働き込んだという顔つきで、日焼けした皺が美しかった。体は小柄だがきびきびと動いて、無駄がない。体を使って生きてきた人で、78歳とはとても思われない精神の若さ、瑞々しさである。

 尾畠さん、子供の頃は家が貧しく、兄弟も多くて中学も満足に通わなかったそうだ。したがって学歴もなく、魚屋として長いこと生きてきたのだが、65歳になったのを機会(しお)に、それからはお世話になった世の中に恩返しすることを決意してボランティアを始めた、と自分で語っていた。

 また尾畠さん、声、語り口が実にいい。張りがあって、あいまいな物言いがない。これは、やましいことなく生きてきた人の誇りと自信から生まれるものに違いない。

 

 僕がこのように尾畠さんに格別の感銘を受けたのには訳があった。というのは、こうでない「困ったボランティア」もいるからである。その一例は7月の西日本豪雨大災害の際に、岡山県倉敷市真備町の被災地に、高知県大豊町の三谷幸一郎町議(65)がボランティアで訪れた時に起こった。

 マスコミ報道によれば、三谷町議は酒を飲み、避難所となっている小学校の女性校長に学校での宿泊を迫り、トラブルになったという。避難所は被災者のための場所であり、ボランティアが泊まり込むところではない、と管理責任者である校長は拒否したそうだ。その原則を破ったら被災者を守れなくなり、示しがつかなくなるからである。

 ここで警官も加わって押し問答となり、結局三谷町議は学校の廊下に宿泊し、後に大豊町長と町議会議長が小学校に謝罪に訪れたという。なんとも恥ずかしい話ではないか。

 おそらく三谷町議は田舎では名士として遇されており、特別扱いしてほしかったのだろう。遊山気分も多少はあったのではないか。すべて自前の尾畠さんとはなんという違い! 人間の品格は、こういうところにこそくっきりと顕(あらわ)れるものである。地位や学歴ではないのだ。その後、大豊町役場に電話で確認したところ、三谷町議は辞職したそうだ。

 このような「困ったボランティア」は他にもいるはずだが、それはある程度仕方がないだろう。尾畠さんのような人は稀だ。尾畠さんはボランティア活動において、被災地のお荷物にならないことを先ず第一に心がけているという。そして報酬めいたものはいっさい受け取らない。

 

 尾畠さんの場合、宿泊は寝袋持参で軽自動車の中、食料も水も持っていって自炊である。額にはタオルではちまきを巻き、軽自動車を自ら運転して駆けつける姿は、まるで現代の月光仮面のようである。発見後、せめて入浴を、との理稀ちゃんの祖父の申し出も断固断って、軽自動車を運転して家に帰っていった。

 尾畠さんの自宅の映像もテレビで流れていたが、ボランティア道具が準備万端、びっしりと備えられていた。これには驚いた。僕は見ていて、これは山登りの備えとまったく同じだと気づいた。尾畠さんは40歳ごろから山登りを始めたという。

 山には店もなければ医者もいない。水道もなければガスもなく、昔は携帯電話もなかった。(携帯電話は山では先ず通じないものと覚悟した方が良い。実際、東京近郊の高尾山(標高599メートル)でも、ちょっと奥に行くともう通じない)

 どうなろうと山では自力で生きて還ってこなければならない。僕もよく一人で山に登ったが、先ずそのことを強く意識して出掛けていったものだ。尾畠さんは北アルプス縦走の体験を語っていたが、その知恵が今回の捜索にも生きているのである。

 尾畠さんの場合、山登りだけではない。魚屋をやめたおよそ十年前、60代半ばになって、鹿児島県佐多岬から北海道の北端宗谷岬まで、一人で徒歩で日本縦断を成し遂げたというから、驚嘆すべき人である。並の人に出来ることではない。

 

 今年は終戦後73年、尾畠さんは78歳というから戦前の暮らしや戦後の貧しかった時代を肌で知る世代である。それは今の貧しさと質が違う。

 尾畠さんを見ていると、古き日本を見る思いがする。消えてしまったと思っていたものが、眼前に突然現れて、僕はびっくりする思いであった。このような風骨(ふうこつ)ある人が、かつての日本には生きていたのである。

 テレビである評論家が尾畠さんを「地頭(じあたま)がいい人」と語っていた。貧しさから自ずと生まれた知恵のようなもの。そして、厳しい自然の中に自らを打ち出していくことから生まれる、謙虚さ。それが全身に染みこんで備わっているのである。

 

 警察や消防は恥をかいたと思う。テレビを見ていると、警察は集団になって棒で草やぶを掻き分けたりしていたが、もっと個人に自由を与えてばらばらに探索した方が良かった気がする。あれではわずかな範囲しか探せない。

 今回は、子供は上の方に登るという尾畠さんの直感が生きての発見となった。長年の山歩きで勘が研ぎすまされていたというべきだろう。

 とにかく無事救出、本当に僕もうれしかった。今年の夏の快事、気分が爽やかになる出来事であった。

 

 快事といえばもう一つ。秋田県金足農業高校の甲子園大会決勝進出である。これはもう説明する必要がないだろう。惜しくも野球エリート校大阪桐蔭に敗れたが、雑草魂を発揮して見事な準優勝であった。東北の農業高校というのがまた素晴らしいではないか。

 僕が野球に熱中していた少年時代、東北でもっとも高校野球のレベルが高かったのは秋田県であった。三冠王3回の落合博満、通算284勝の大投手・山田久志は秋田県の出身である。彼らは高校では花咲かなかったが、その後プロ野球で歴史に名を刻む大選手となった。

 しかし話は飛ぶが、大阪桐蔭とプロ野球阪神タイガースが戦ったら大阪桐蔭が勝つのではないか、という話がまことしやかに流れているのは、いかにも阪神に気の毒だ。昔、PL学園が強かった時にもこういう話があった。いくらなんでもこれは阪神が勝つだろう。みなさんはどう思う?

 東北にはまだ春の大会もふくめて甲子園で優勝した高校がない。が、いずれ近いうちに願望がかなうことを僕は信じている。

 頑張れ、東北球児たち!