頑張れ! 茂木栄五郎・中村憲剛

更新日:2017年2月14日

作家 丸山修身

 

2月1日、プロ野球のキャンプが始まった。僕は野球が大好きで、小学校五年生ぐらいから中学二年生ぐらいまで、熱烈にプロ野球選手になりたかった。田舎の子供であるから、自分はとうていなれないなどとは考えない。努力すれば自分も長嶋、王みたいになれるのではないかと考える。何事においても、いいなあと憧れると、すぐ自分もなりたくなるのだ。世間をよく知らないため、達成の困難さが理解出来ず、願望が純粋培養されるらしい。

しかしさすがに中学二年ぐらいになると、いくら努力しても自分はとてもON(オーエヌ)のようにはなれないと分かってくる。同じ中学に自分よりうまい者が一人でもいたら、とうていプロ野球になんぞ入れないと悟るようになるのだ。

 

プロ野球選手を諦める前は相撲取りになりたかった。四、五歳から小学校二、三年までは相撲に夢中で、地面に円を描いたり雪の上に土俵をつくったりして、実によく相撲を取った。相撲は一対一で体をぶつけ合うので、負けると相手を殺してやりたいほど悔しい。それに投げられると、痛い。そこで、もう一丁、となる。ベルトを掴んで組み合うので、ズボンのベルトを通す穴の糸が切れて、いつもズボンがずり落ちるのをたくし上げていた。

相撲は入門にあたって体格制限があり、大男でないとなれないから諦めた。しかし大好きであることは今も変わりはない。

 

相撲と野球を諦めた後は流行歌手になりたかった。思春期だったのである。これを話すとみんな呆れて笑うが、僕は真剣だった。三橋美智也や坂本九を夢見て自己流で熱心に練習していたのだが、ある日父親から、このヤロ! そんなエロしもねえ歌、歌うな! と怒鳴られ、非常に腹がたった。しかし自然に歌手の夢はさめていった。自分の能力に見極めがついたのだ。

とにかく僕は、体をつかって何かをするということが好きだった。それは今も変わらない。

 

さて、今日の本題に戻る。今年僕がとりわけ期待をもって見ているプロ野球選手がいる。それは東北楽天の内野手、茂木栄五郎選手である。何故かというと、茂木選手は僕が住む小金井市の出身、すぐ近くの第四小学校、南中学を卒業しているからだ。

先日、ある女性と世間話をしていてたまたま野球の話題になり、僕が、去年楽天に入団して活躍した茂木選手は小金井出身だと話すと、その人はびっくりした大きな声で、「ああ、茂木くん!」と答えた。息子さんが、同じ小中学校で同学年だったのだという。茂木選手の子供の頃をよく知っていたようだ。昨年末には市で茂木選手を招いて、市長も出席、地元の少年野球のメンバーや市民との交流会が開催された。

 

茂木選手は小金井の南中学から高校野球の名門、神奈川の桐蔭学園に進んだ。当時から評判の選手だったに違いなく、中学までは隣の府中市のシニアリーグに所属していた。

早稲田大学に進むと一年春からレギュラーとなり、三年秋には首位打者を獲得している。楽天に入った去年はクリーンアップも打ち、一時新人王も狙える地位にいたが、ケガでかなり長く欠場して新人王をのがしたのは残念であった。その悔しさを今年は晴らしてもらいたい。

 

僕が茂木選手を応援する理由は、小金井出身であるということの他に、楽天がシェイクスピア・カンパニーが拠点をおく仙台のチームだからでもある。

それともう一つある。僕は茂木選手の「栄五郎」という名前がしびれるほどにも気に入っているのだ。いかにも反時代的で、強そうではないか。イメージ優先の昨今のふにゃふにゃしたものとは全然ちがうコワモテぶりである。というのは、幕末の上州(群馬県)に大前田英五郎という侠客(きょうかく)の大親分がいたが、なんとなくそれを想わせるのだ。侠客―今でいえばヤクザである。僕は名をつけた茂木選手の親にも拍手を送りたい。

 

僕は神宮球場で早稲田大学時代の茂木選手を五、六試合みている。茂木選手の特徴は、打率も高いが、小柄にもかかわらずパンチ力があることである。右中間に放つホームランはほれぼれする弾道で飛んでいったものだ。おそらく二、三年後にはホームラン20~30本ぐらいは打ち、楽天の中心選手となるだろう。打率は3割、打点は80をこえると期待している。僕としては、元ヤクルト・スワローズ、現ヒューストン・アストロズの大リーガー、青木典親選手のようなタイプに成長してほしいと願っている。

ちょうど彼の学生時代最後の試合、対明治大学戦では、楽天球団の副会長・星野仙一氏が神宮球場に観戦にきていた。ドラフト指名直前のことで、誰か目当ての選手を見に来たのだろうとは想像がついたが、僕は現阪神、去年のセリーグ新人王、明治の高山選手あたりを欲しいのかと考えたが、今になって思うと、茂木選手を狙っていたのだ。もっとも心の内ではすでに決めていたのだろうが、やはり自分の目で確かめたかったのだろう。

 

小金井出身のスポーツ選手で著名なのはもう一人、サッカーJ1・川崎フロンターレ中村憲剛がいる。中村選手は元日本代表、昨シーズンは大活躍で、Jリーグ最優秀選手に輝いた。小金井南小から僕のすぐ近くの第二中学を卒業している。小学校時代から隣の府中市のサッカークラブ「府ロクサッカークラブ」に属していて、2011年FIFA女子ワールドカップで優勝した「なでしこジャパン」のキャプテン・澤穂希(ほまれ)選手のクラブでの二年後輩であった。ちなみに「府ロク」とは、府中第六小学校を中心に結成されたことに由来する。

彼は中学時代から、地元ではすでに有名な選手であった。僕が中一から高三まで家庭教師をしたNくんは、やはり二中の出身で中村選手の先輩、大学生になっても時々僕のところに遊びにきていたが、次のようなやりとりを何度かしたのをよく憶えている。

 

「先生、二中にすっごくサッカーが上手なやつがいるんですよ」

「ふーん、名前なんていうの?」

「中村っていうんですよ。すごく、ちっちゃいんですよ。でも、すっごくうまいんですよ」

 

Nくんは心から感嘆する口調で言ったものだ。これが中村憲剛選手だったのだ。その中村少年、高校はサッカーの名門、國學院久我山を希望したが、落ちてしまったという。その落ちた理由が体が小さいからということだったそうで、中学卒業時で154センチしかなかったと自分で語っている。都立久留米高校から中央大学に進んだが、背は高校に入ってから伸びて、二年の時には170センチになったそうだ。何事においてもこの年齢では先がどうなるかは分からないものだ。駄目でも絶望することはないということを中村選手の事例は教えてくれる。

 

さて、今年は野球、サッカー、どういうシーズンになるか。野球はソフトバンク、日本ハムの壁は厚いが、せめて茂木選手の大活躍でクライマックスシリーズには出てもらいたい。

サッカーではフロンターレは充分、チャンピオンを狙える地位にいると思う。頑張れ、茂木栄五郎! 中村憲剛!