餅の話

                                     更新日:2016年2月11日

作家 丸山修身

 

 先ずびっくりする話から始めよう。家でぺったんぺったんと餅をついていて、相棒の頭を杵(きね)でぶっ叩いた話である。それは僕の田舎の話で、すぐ隣の家で起こった。弟が振り下ろした杵が、臼(うす)の中に上体をかがめて餅を返している姉の後頭部を、ポッカーンと直撃したのであった。僕が小学校に上がる前年のことである。

 僕の田舎では、この餅を返す役を「あえとり」と呼び、ほとんどその家の女性がつとめた。それにしてもあえとりの頭を叩くとは。こんな話、僕はいまだに他に聞いたことがない。

 その家では毎年餅つきをするおやじさんの体調が悪く、22,3歳の弟と24,5歳の姉が組んで餅つきをやったのだが、二人が組むのは初めてだったそうだ。話をよく聞くと、別に二人がケンカしていた訳でもなく、ただタイミングが狂っただけだったらしい。二人ともさぞ驚き、ショックを受けたにちがいない。

 

 姉は頭から激しく出血した。弟はびっくりして我が家に赤チンを借りにきた。この赤チンというのがいかにも時代である。塗ると毒々しく真っ赤になる塗り薬で、切り傷、擦り傷、打ち身、なんでも赤チンであった。

 前代未聞の出来事であるから、この話はすぐ尾ひれをつけて村中に拡がった。その家の餅は、赤い食紅を使わずともしたたり落ちた血で見事な赤餅となり、味もとりわけおいしかったそうだ、と口さがなく噂するのであった。恰好の退屈しのぎになったのだ。

 

 昔は歳末になると、このように各家で杵(きね)と臼(うす)つかって餅をついたものだ。その日は朝方から独特の浮き立つような雰囲気が家に立ちこめていた。あの、ぺったん、ぺったん、というリズミカルな音は、今でもわくわくする思いとともに耳に残っている。

 食紅をつかった赤い餅、といえば僕は菱餅(ひしもち)を思い出す。紅白を意識して鮮やかな赤に色づけしたのだろうが、菱形をした餅で、三月三日のおひな様の日につくった。我が家にはおひな様を飾るような年頃の女の子はいなかったが、菱餅だけは慣例で床の間や仏壇に飾っていた。

 菱餅がなぜ目出度い日につくられるのか。昔、僕は柳田國男の文章を読んでびっくりした覚えがある。次の文章をお読みいただきたい。

 

   餅のこの円錐形は、握飯(むすび)の三角と、あるいは考え合すべきものではなかったろうか。……節供(せっく)の食物では三月の菱餅

  (ひしもち)もそれらしいが、五月にはことにこの約束が厳重である。……自分の想像を言ってみるならば、これは人間の心臓の形を、象

  (かた)どっていたものではないかというのである。食物が人の形体を作るものとすれば、もっとも重要なる食物が最も大切なる部分を、構

  成するであろう……私は今までいろいろの場合に、上の尖った三角形がいつも人生の大事を表徴しているように感じている。

                                            『食物と心臓』

 

 菱形とは三角形を二つ合わせた形である。柳田は、三角形はなんと人間の最も大切な器官、心臓を模したものではないかというのだ。握り飯が三角形をしているのも、心臓の形に似せたからだという。ただ握りやすいからではないというのである。

 最初にこれを知った時は、なるほどと感心したものだが、いまではどうも違うのではないかという考えに傾いている。ここまでくるともう個人個人の感覚の問題で、厳密そうな民俗学も最後は直感だという典型である。

 

 三角形もそうだが、食物としても餅の特徴は形を自在に変えられることだろう。初めて丸餅を見た時、どんなに驚いたことか。四国、愛媛県今治市出身の友人からもらったのだが、掌にのる大きさで、せんべいをちょっと厚くしたようなその餅を、びっくりして、しばらくただ眺めるだけであった。そもそも僕は丸い餅が存在するということさえ知らなかったのだ。しかし食べると味は変わらず、とてもおいしい餅であった。

 

 餅といえば毎年正月、お年寄りが喉に詰まらせて死んだ、という報道に接する。もう一つ忘れられない出来事がある。もっともこれは餅といってもぼた餅なのだが。

 あれは僕が小学校に上がる前の年だったと記憶する。僕は母親と一緒に、隣村にある父親の実家に秋祭りで呼ばれていった。父親はその家から数え年16歳で婿にきたのだった。父親はどういう訳か実家には出向きたがらず、こういう時はたいてい子供達が行っていた。

 父の実兄であるその家の主人と、訪ねてきた親戚の男が茶の間で一杯やっていた。その時に、ふるまいものとしてぼた餅が出た。僕は退屈で仕方がなく、すぐ近くで大人達の様子を見ていた。

 と、客の男が急に話を止め、喉に指を突っ込んで何かを掻き出す仕草をした。急変に気づいた主人が大声を発した。すぐ500メートルほど離れた医者が呼びにやられ、家中で大騒ぎして喉に詰まったぼた餅を取り出そうとしたが、どうしても取り出せず、そのうちに客の男は力尽きたかのように静かに前屈みになっていった。

 医者を呼びにいった若い者が駆け戻ってきた。医者はすぐ来る、その前に仰向けにして口の中に醤油をいっぱいに流し込め、と教えられたという。ぼた餅を吐き出すかもしれない、との考えである。が、口から醤油がこぼれるまで注いでも、なんの反応もなかった。

 数分遅れて医者が往診かばんを持って駆けつけてきた。が、いかなる処置を施しても、男が蘇生することは遂になかった。鉗子(かんし)を使って喉の奥から引っ張り出したぼた餅は、ほとんど噛まれていない一個分であった。

 死んだ男はまだ若かった。三十代後半か四十をちょっと出たぐらいではなかったか。その健康だった男が、ぼた餅を喉につかえるとは実に不思議であった。おそらく飲み込む途中で心臓発作か脳卒中を起こしたのではないか、とみんな噂したが、実態は分からない。

 しかしついさっきまでにこにこ駄弁っていた人が、あっという間に死者となる。僕はその現実を、初めてまざまざと目の前に見たのであった。