『破無礼』最終公演 八戸 (No..50 Spring 2008)

 

主宰 下館和巳

 

 2008年3月30日私たちは、青森県八戸市の公会堂に来てくださった341人のお客様に見守られて、予定されていたすべての『破無礼』公演を終えました。初演から二年の、稽古を始めてから四年の、構想に向かって動き出した2001年12月10日からは六年と三ヶ月の、月日が流れていました。

いろいろなことがあり過ぎて、『破無礼』を終えた感想を一言で述べることは至難に思われます。

 八戸公演は、劇団員犾守勇君のご祖父で南部せんべい製造本舗いずもり会長犾守幸作さんのご尽力でたくさんのお客様を動員していただきましたが、公演前夜の懇談会での犾守さん(まるで役者のようなお顔のステキなおじいちゃまなのですが)の誠実で愛情溢れるご挨拶に、劇団員一同大いなる励ましを与えられました。公園の朝、私の楽屋に四枚の写真が飾られました。一枚は劇団の女優で2003年に若くして逝った千葉なつみちゃんの、そして妻晴子の、更に私の父と叔父の。実は八戸が『破無礼』公演最終地であることには二重の意味がありました。ひとつは、犾守勇君の、もうひとつは私の父純一郎とその弟哲二郎の生れ故郷であることです。とりわけ、私の叔父哲二郎はかつて「カルト座」という劇団の座長として東北を巡った経歴の持ち主でもありましたので、仲のよかったこの兄弟への追悼の思いがありました。その写真の前に集まったすべての劇団員の前で、私は次のような話をしました。

 「およそ4000人のお客様に私たちの『破無礼』に足をお運びいただいたこと、そして公演に関わった私たちひとりひとりが無事で長い公演を終えようとしていること、これは奇跡のようなものです。悲しみの中で、私たちはある志をもって『破無礼』を始めましたが、それは一本のろうそくに火を灯すようなことであったと思います。私たちの志である火は光となって私たちの希望になったからです。人は一生のうちで出会うべき人に出会うべき時に出会わされます。私たちは、カンパニーの『破無礼』という場で、一時も遅すぎることなく一時も早すぎることなく、かけがえのない仲間に出会っています。そして一緒にお客様に喜んでいただける仕事をさせていただくことで深い喜びを与えられています。ほんとうに、ほんとうに有り難いことです。人は、愛する人に出会うために生れてくるのだということを私はこの『破無礼』を通して知りました。最後を、尊敬する木下順二先生の心友であった山本安英さんのことばで締めくくりたいと思います。『生き残った者たちは自分の中だけで死者を思うのではなく、死者との対話を続けながら生きるのです。死者を向こうの世界に送りこんでしまってはいけないのです。死と絶縁するならば私たちには何もないのです。』どうぞ、全身全霊を傾けて最後の『破無礼』を演じてください。」