人間の本質が変わらないからこそ  (No.36 Winter 2005)

元朝日新聞記者 服部夕紀

 人間の本質って、一体何だろう。最近、そんな、ことをぐるぐると考えている。
 きっかけは知人からプラトンの作品を薦められたこと。プラトンといえば、約2400年前の古代ギリシャの哲学者。そんな大昔の書物なんて、ちゃんと内容が分かるのが、疑問だった。
 ところが、どっこい。最初に「ソクラテスの弁明」を手に取ったのだが、あたかも、現代のテレビドラマを見ているような身近さなのだ。
 「ソクラテス以上の賢者はひとりもいない」というデルフォイの神託を疑ったソクラテスは、当時、賢者として評判の高かった人たちを片っ端から訪ね歩く。  「相手は何も知らないのに何かを知っていると信じているのに対し、自分は自身が無知であることを知っている。その点において自分は相手より賢い」という結論に達したソクラテスは、相手から憎まれ、青年を腐敗させたという理由で告発されてしまう。
 両者の気持ちの動き方が、手に取るようにわかるのだが、どんな方法を取ればこじれた人間関係を改善出来るのか、全く見当がつかない。2400年も経つのに、どうして人間は成長しないのだろう・・・と唖然としてしまった。
 ここではっとした。この感覚、どこかで味わったことがある。記憶をなぞったら、1999年の冬、シェイクスピア・カンパニーの「播部蘇(マクベス)」を仙台で観た時の情景が蘇った。
 東北弁と英語、現代と400年前。言葉も場所も全然違うのに、演じられている内容は、何の違和感もなく自分の中に入ってくる。シェイクスピアの豊潤な世界に触れたという喜びと、この400年間で人間は何も変わっていないのだという虚しさを一緒に味わいながら、定禅寺通りのケヤキ並木の下を歩いた。  しかし、人間の本質は変わらないからこそ、先人たちの古典を、今も深く愉しめるのだろう。それは同時に、わたしたちが何かを表現し、創作したものが、将来のひとびとの愉しみにつながることも保障しているのだ・・と思ったら、嬉しくなった。