肉体派ハムレット  (No.36 Winter 2005)

共同脚本構想者 菅原博英

 2002年の夏、「今度はいよいよハムレットだよ。幕末でやってみたいな。ということで宜しく」と出発直前に電話を寄越し、下館先生はイギリスに旅立ちました。私はすぐに、第一行「幕末ハムレット~大きな藩の名もない王子の物語~」と企画書に打ち込みました。直感的に幕末東北最強の国「仙台藩」の、誰も語らない歴史のミッシングリンクを紡いで東北を見直してみたい、と思ったのです。ただの直感でしたが。私は原文を読むことができませんので、まずは多くの翻訳を読んでみました。一冊だけだとその翻訳者の思いが強すぎるので、何冊も読みました。そうして読んでいると、どうにも引っかかる登場人物がいました。ホレイショーです。レイアーティズやフォーティンブラスなどの、ハムレットと同年代の若者達には皆バックボーンがあるのですが、同じく同年代と思われるホレイショーには何もない事に気が付きました。何もないくせにハムレットや他の偉い人たちと平気で会う変な奴・・・。ふいに山岡鉄舟の名前が浮かびました。ボロ鉄と呼ばれた貧乏旗本ですが、剣と禅で鍛えた度胸で官軍の駐屯地に単身乗り込み、江戸無血開城を実現した勝・西郷会談を成立させた男です。ホレイショーが、ハムレットの命を受けてフォーティンブラスと対面する姿が山岡と重なり、突如、仙台にも山岡鉄舟のような男がいた方が、明治以降の仙台を鑑みれば辻褄が合うのではないか、という思いが沸きました。 ホレイショーこそ、私に「幕末ハムレット」を確信させた人物でした。私は、翻訳の中では特に個性を持たない彼を、強烈な武人であり悪戯っ子と位置付けてみました。シェイクスピア作品に良く出る道化の武人化です。日本風に言えば傾奇者です。そうして「幕末ハムレット」の企画に自信を持った私が、次にしたのは「木刀振り」でした。幕末維新の英雄達は知っている名を挙げれば、すべて義と剣と度胸で生きた若者達です。実は当時の私は、体を壊して筋肉トレーニングは禁止されていましたが、治療のために通っていた病院の先生に「少し動けるようになりましたね。あなたの体を治すのは武術が一番」(?)と勧められて太極拳をしていた頃でした(ところが勧められた道場の先生は超実践派。本当に体が治るのか?痛んでいるじゃないのか?という具合で・・・)。その修行のお陰でしょうか、随分楽に振れました(型が悪いと体中に激痛が走りましたが、それも幸いでした)。成る程成る程、ハムレットを始めとする青年達は武士で、武士道を心に持っているのだな、そして4人とも、その瞬間瞬間の行動を精一杯選択していったのだな、という思いが木刀を振れば振るほど湧いてきました(「武士道」の著者新渡戸稲造博士を研究している盛岡先人記念館のある盛岡に住んでいることも幸いでした)。私の中でいきいきと彼らが動き出しました。変な話ですが、「木刀振り」こそが、企画をつくる原動力になったのです。次にしたのが具体的な登場人物の人物考察ですが、例えばハムレットを考察する場合、私はホレイショーに思いがありましたので、彼の目」からハムレットを感じてみました。そのように他の登場人物から眺めると、ハムレットは、武人ホレイショーが惚れこんだ、志士レイアーティズが憎みきれなかった、英雄フォーティーンブラスが死を惜しんだ、という非常に魅力的な男らしい男で、従来の儚いハムレットではありませんでした。他の登場人物も同様にすると、全員に面白い特徴がありました。完成した脚本を読んで、この「奥州幕末の『破無礼』」(私的には「幕末ハムレット」)は、従来のドメスティックストーリーではなく、登場人物すべてが激しい状況、つまり歴史の大転換期の中で、それぞれの個性を発揮しながら様々な選択をし、そして1人1人の運命を決めていく物語になっていると感じました。私の企画もこっそり入っています。舞台を観ていただいた時には、私にとってホレイショーですが、決して主役だけではなく、必ず共感できる登場人物に出会っていただけるものだと思います。そして実は、シェイクスピアが伝えたい「ハムレット」は、決してご立派なものではなく、一生懸命生きている私たちの普段の生活そのままであると感じていただけると思います。


* 脚本は、下館、菅原、丸山、鹿又の4氏による共同構想です。