シェイクスピア・カンパニー休眠に期待してしまう (No.25 Autumn 2001)
  
大学職員 賞雅郁子

 美形だった下館君は、きっとこういう人生に憧れていたに違いないと妙に腑に落ちたロマンチックの権化  ”ロミオとジュリエット” から、早7年。その間、毎年せっせせっせと仙台界隈の温泉を踏破しながら観劇に通いつづけた悪友たちの一人として、このたびのシェイクスピア・カンパニー休眠に祝辞を述べることとなりました。
 この10月 ”温泉旅館のお気に召すまま” を観ながら、素人劇団の皆さんの芝居の上達振りを意識しました。その上達ぶりは、客に芝居を見せている、演じることを楽しんでいる自分を見せている、ちょっとした失敗は客にそれとわからないくらいにこなせている、きれいにうまくまとめていることを意識させるものでした。げらげらと笑ったり、ときにはほろりとさせられたりしながら、それに乗せられている自分を意識せざるを得ない演出者の存在がいつもありました。おかしい・・・?? ??・・・?の先に浮かんできたのは、 ”ドキドキしなかったなぁ”という思いでした。皆さん、ごめんなさい。私はときめかなかったのです。
 ”真夏の夜の夢”では、衣装の意外性もありましたが、期待を抱くなどという傲慢な思いを待つ間もなく、舞台に引き込まれていました。初めての悲劇 ”マクベス” では、硬くて固くて蕾もつかずに終わってしまうのではないかというような演技が、大輪の花を咲かせるのを見る事ができました。それに比べて ”温泉旅館のお気に召すまま” は上手でした。多分これまでの中で、一番上手くまとまっていたと思います。舞台の内外での人との関係、演技自体、自分の生活とのバランス、そういうものが安定してきたのでしょうか。様々な思いを包み込んでも、芝居を楽しむ余裕ができてきたのでしょうか。それはそれで進歩というべきものであり、この数年間の中で団員個々人が、また劇団自身が培ってきたもののひとつの到達点と言えるかもしれません。でも、おそらくそれを次のステップへの通過点とするためには、これから3 年間の休眠期間は必要不可欠なものであると思えます。
 ”上手くなること””芝居自体を楽しむこと”は、皆さんはもうできるのでしょう。その次が何なのか、演出家は演出家で、苦悶するのが商売ですから良しとして、皆さんがそれぞれの生活の積み重ねの中で見つけてくるであろうもの(答えではなく)を楽しみにしています。シェイクスピア・カンパニーの休眠は、地下水を溜める時間(とき)。 3年後、泉と沸き出ずる一滴が、どのような音色を響かせるのか、期待しています。良い休眠を!