恐山から授かった力(No.19 Autumn 1999)

主宰 下館和巳

 10月10日、恐山の大祭の日私たちは「恐山発、エジンバラ行き」の『播部蘇』丸を出
帆させた。恐山は、高野山、比叡山に並ぶ三大霊山の一つである。そこにある菩提寺の
原点は、862年にお告げを受けた慈覚大師が建立した地蔵堂である。

 境内には136の地獄がそこここにある。どうや地獄、血の池地獄、修羅王地獄…。鼻
をつく硫黄の煙が吹き出し、地面には荒廃とした岩肌が露出し、積み上げられた石の上
に幾つもの風車が回り、カラスの声がその異様さを際立たせる。しかし、恐山には意外
にも、美しい宇曽利の湖が作り出している極楽の風景もある。この湖には思わず引き込
まれてしまいそうなあの世の匂いが漂っている。誰もがふとここでなら死んでも成仏で
きるかもしれない、と思えるようなそんな不思議な雰囲気を湛えている。

 恐山の名を日本中に知らしめたのはイタコだろう。彼女達はその独特の語りのリズム
で死者の霊を呼び降ろす。「森が林がふるさどがぁ、極楽浄土の前を流れる涙川、七瀬
も八瀬も流れるど、親に会う瀬は一つ瀬のここぞとばかり語るべが…」。イタコの前に
座った人達はその語りに泣く。

 私は、13才の頃、父に連れられて初めて恐山を訪れ、イタコの語りを聞いた。人々が
すすり泣く声、号泣する声を今も強烈に覚えている。なぜ泣いているのか、まだ幼い私
にはわからなかった。だが、その時感じた疑問が、東北版『マクベス』構想の出発点に
あった。『マクベス』の原作を最もシェイクスピア的にしているのは、ほかならぬ、運
命を語る妖婆である。東北の風土を考えた時、その女達に匹敵する存在として、私が真
っ先に思い浮かべたのは、恐山という特異な場とイタコという霊媒師だった。マクベス
は三人の妖婆に出会って王殺しを発想する。それならば、彼女達に出会う前のマクベス
に野心というやつが一切なかったのか?いや、マクベスの心の中には既に野心があった
のだ。彼女達の声にマクベスは自分の聞きたかった内なる声を聞いたに過ぎない。そう
思えた時、私の中で妖婆達とマクベスの関係と、イタコと泣く人々のそれが重なった。

 恐山に出かけて行く人達は、泣きたいんだ。愛する父や母や子を失った悲しみが、人々
を泣くことに駆りたてるんだ。イタコの語りがどんなものであれ、人々は泣く。自分
の悲しみを掬いあげてくれる語りに泣くんだ。私の筆は一気に進んだ。そして、この悲
劇は絶対に恐山で上演されなければならないと思った。

 私達の思いは、大きな壁をすんなりと乗り越えてしまった。というのは、恐山を舞台
にした芸術活動は寺山修司の映画以来、許されていなかったからである。下北を訪れて、
下北の皆さんの驚きの声に触れて初めて私達の幸運を実感した。そして、この不可能に
近い公演を実現させてくれたのは、恐山公演を一番楽しみにしていながら今年の春に亡
くなった高橋明久(よっちん)にほかならぬ、と思ったのは私だけではないと思う。目
に見えない逝ってしまった愛しい人達の力を今度ほど強く感じさせられたことはない。

 よっちんを始めとしたたくさんの方々の霊に、知り合って時が浅いにもかかわらず親
身になって劇団の宣伝に東奔西走して下さった鳥昌の竹内洋一さんに、そして、私達に
特別の計らいを与えて下さった上に、本当に暖かく迎えて下さった菩提寺の皆さんに、
深く感謝したいと思う。

 私達は、恐山から量り知れないパワーをいただいてエジンバラに飛ぶ。これで漸く海
を越えて世界に羽ばたける、そんな自信を劇団員の一人一人が胸に抱かせた恐山公演で
あった。