清濁あわせのむシェイクスピア(No.1 Spring 1995)

シェイクスピア・カンパニー主宰  下館和巳

 シェイクスピアは古典である。だから難しい。なんだか良く聞く名前だが、閾が高そ
うな人である。
印象とは恐ろしいもので、一旦そう思うと、なかなか近づけない。あこがれどころか、
敬遠どころか、名前を聞いただけで鳥肌がたつと言われたこともある。坊主にくけりゃ
という言葉もあるから、シェイクスピアと口にする度に私も嫌われたことが幾度もあっ
たのかもしれない。

 こんな話を今から450年も前にロンドンで活躍していたシェイクスピアが聞いたら、
二重の意味で驚いたであろう。「俺の芝居は誰もが喜べるもの、閾が高いだなんてとん
でもない誤解だ。タイムマシンで今ここで俺の前で泣いたり笑ったりしてる観客の一人
になってみなさい。」そして「それにしても俺が死んで何百年もたったジパングで俺の
噂がねえ」と不思議がっただろう。

 私はイギリスでこれでもかこれでもかとシェイクスピアの芝居を見て、つまらないと
感じたことは殆どない。しかし、日本でシェイクスピアを見て面白いと思ったことは、
蜷川の芝居以外はなかった。

 なぜか?言葉だ。と気づいたのは、何百本もイギリスのシェイクスピアを聞いた後だ
った。日本のシェイクスピアの歴史はもう百年を越えた。数多くの翻訳がある。おびた
だしい数の劇が上演された。しかし、これまでの劇言語というものは東京を中心につく
られた人工的標準語であって地方の言葉は舞台から排除されてきた現実が示すように、
シェイクスピアの日本語はひたすら標準語である。私達の地域の言葉はシェイクスピア
の世界に入れてもらえないのだろうか?まさか、あの清も濁も美も醜も死も
生も喜びも悲しみも一つのドラマにくるんだ彼が豊かな言葉の広がりを拒むはずがない。
否むしろその豊かな言葉のアンサンブルを待ち望んでいるはずである。