London Diary

Vol. 8

23 March 2024

Umi Shimodate


『家がない』

 

自分のことをモンゴル民族と名づけた。

 

この2年間、半年以上住み続けた家が存在せず遊牧民のように家を転々としてきたから。

 

 

イギリスに着いた初日の日から3週間住んだ部屋は比較的快適であった。キッチンは無論のことシェアである。洗われずトマトソースの汚れがついたままのフライパンがシンクに取り残されているのを毎朝見るのが日課のようになっていた。夕方の時間帯にキッチンに入ると、アラビックの子たちが多い時は10人くらい集まりアラビックティーを作り団欒している。アラビックティーの独特な甘い匂いで包まれたキッチンと慣れたような顔つきでシンクに放置されるフライパンの生活。

 

 

2つ目の部屋はキャンパス内にあり、2ヶ月間住んだ。屋根裏部屋なので日当たりが非常に良い。しかし、備え付けられているのは暖房機能だけなことを部屋の温度が38度に差し掛かった8月の夜に気付き、汗がだらだら止まらない。扇風機もない。私はもわっとした夜風のなかペダルを漕いで閉店間際のコンビニに向かう。2リットルの冷えた水を購入して部屋に戻る。22時なるといつのまにか40度を越していた、目を瞑るとサハラ砂漠で寝ているのとなんら変わりがないのではないかとさえ思う。命の危険を感じながら両腕に冷えたペットボトルを抱えうなされながら気絶に近い眠りについた。

 

 

ケンブリッジにさよならを告げ、ロンドンで待っていてくれているジャティンダの家へと向かう。北側のArchwayという場所にある。とっっっっても素敵なお部屋である。光の差し込み方からなにまでまさに理想のお家というか。骨董品、お人形、絵たちが美しいバランスで飾られている。まるで美術館に住んでいるような気持ちになる。屋根裏部屋の窓からはロンドンのシティセンターの街並みが見える、夕暮れどきに眺める時間が好きだった。

 

 

一ヶ月半下宿させていただいた素敵なお家とロンドンの父と母のような存在のジャティンダ夫妻に後ろ髪引かれながらも四つ目の住居へと向かう。

 

 

四つ目のお家は南側に位置しているLewishamという場所にある。中心地から電車で30分以内。ロンドンの北側と西側は比較的安全な場所であり特に治安の良い西側は日本人が多く住んでいる。それに反して、南側と東側はあまり安全とは言えない、夜中は喧嘩する声や叫び声その連中を取り締まるためのパトカーの音が聞こえる。明らかにドラッグで様子がおかしい人もいる。そのため、外が暗くなった後に出歩くのは避けていた。治安が悪いにも関わらず学生寮は家賃がとんでもなく高いため、私は1ヶ月住んだ後、また別の寮に移動することになった。次は東側のAlgate Eastという場所にある。

 

 

二つ分のスーツケースを広げたら床がすべて埋まってしまうくらいの部屋の広さだったが、テムズ川付近はロンドンで一番好きな場所なので寮からLondon Bridgeまで散歩できるのは最高にしあわせなひとときであった。

 

 

イギリスに来て6ヶ月、すでに5回家を移動した。

 

スーツケースを抱え、北、南、東へと……

 

Business college に入る1週間前のこと。留学エージェントの方から「今週末に移動する寮が学校側のミスで手配されてない」との連絡がきた。

 

 

何ヶ月も前から寮の場所を何度も問い合わせていたがまったく返答がなく、移動の1週間前に「君の住む家が確保できてなかった、すまん」程度の謝罪だけである。完全にあちら側のミスだとしても、こちらがなんとか自力で解決しなければならない。これが海外、これがイギリスか。初めて強烈なイギリスの洗礼を受けた瞬間だった。要するに、私は土曜日からホームレスということになる。全身から血の気が引いていく。その日から、ロンドンの物件サイトと血眼になりながらにらめっこをした。次に住む家が決まっていない状態というのは生きてる心地がほぼゼロだった。

 

 

イギリスの家探しは気が参ってくるほど難しい。なぜならとにかく家がない、人に対して明らかに家が足りていない。そして、ほとんどの場合、赤の他人とのシェアハウスであるため色々とリスクがある。需要と供給があっておらず、治安が良いとは言えない東南サイドでさえ家賃がべらぼうに高かったりする。内見の予約をしても、早い者勝ちなのとオーナーの基準で決まるので「ごめん!住居人決まったから内見キャンセルで!」という軽すぎるメッセージが届く。不動産屋に電話しても「その値段で住める家は今紹介できるところはない」と断られる日々。雨雲が私の頭上でずっと雨を降らしているかのように、メンタルが落ちていく。

 

 

1週間ですぐに住める家を探せるわけもなく数週間だけ今住んでいる部屋を延長してもらうことにした。実は、イギリスに留学していた夏目漱石でさえもロンドンの住居探しに苦戦し私のように家賃の高さに頭を悩ませながら家を転々としていたことを知り、今、自分は夏目漱石と同じ状況なのか…となぜだか少しだけ励まされた気分になる。

 

 

そこから四苦八苦しながらなんとか西側に家を探し出すことに成功し、私の怒涛の住居探しは幕を閉じた。

 

 

どんなきついことも笑い話になれば、それでいいのかもと最近思う。