教科書にのらない詩

更新日:2016年9月25日

作家 丸山修身

 

  良い詩は危険である。例えば次の詩がある。

 

       お七の火

                    堀口大学

 

    八百屋お七が火をつけた

    お小姓吉三に逢ひたさに

    われとわが家に火をつけた

 

    あれは大事な気持です

    忘れてならない気持です

 

 この詩は絶対に教科書にはのらない。もしこの詩に触発されて放火をする少年少女がでれば大問題となるからだ。

 八百屋お七の話は、井原西鶴が『好色五人女』で書いて広く知られることとなった。江戸天和年間、吉三郎という寺小姓に恋い焦がれながらも逢うことが叶わないお七(1668―1683)が、火事になれば逢えると考えて放火し、処刑された事件である。

 堀口大学は、必死の気持ちの大切さをいっている。こんなことをしたらみっともないのではないか、などと考えていてはダメなのだ。現代でそれを具現実行したのは川柳作家の時実新子(ときざねしんこ・1929―2007)であろう。

 

    膝折って愛に恥などあるものか

    ころしてよ頸に冷たい手を巻いてよ

    獣姦求む急いで森の奥に来よ 

    梨の芯かなしいせっくすがおわる

    墓の下の男の下に眠りたや

 

このやぶれかぶれの覚悟、願望は、もう川柳とはいえない。これも僕に言わせれば大事な気持ちである。

 

 僕は塾の教師や家庭教師を長くやったので、中高生の現代国語の教科書には目を通すことが多かった。そして常々、教科書にはなんでこんなつまらない詩ばかりのるのだろう、と不満に思ってきた。平穏無事、人畜無害、そんな甘ったるい安酒みたいな詩ばかり。とにかくつまらない。ある一人の詩人でも、出来が悪い、三流四流の去勢されたような作ばかりが採用される。これは教科書という性質上仕方がないのかもしれないが、もっといい詩があるのに、と残念に思うばかりであった。安全に、安全に、で子供を国語嫌いにしている感じさえ受ける。

 

 中野重治(1902―1979)という詩人作家がいた。一応プロレタリア文学ということになっているが、そんなジャンル分けはこの人に関してはまったく無意味である。それほどにも貴重な、日本の宝ともいえる詩人であった。

 この人もいちばんいい詩は教科書にのらない。従ってあまり知られず、読まれることも少ないが、僕は大好きで尊敬している。

 次に紹介するのは、革命運動の朝鮮人同志が、おそらく日本を逐われて、故国に帰っていくのを見送る場面である。その力強い言葉の使い方を味わっていただきたい。

 

       雨の降る品川駅

 

    辛よ さようなら

    金よ さようなら

 

    李よ さようなら

    もう一人の李よ さようなら

    君らは君らの父母の国にかえる

 

    君らの国の河はさむい冬に凍る

    君らの叛逆する心はわかれの一瞬に凍る

 

    海は夕ぐれのなかに海鳴りの声をたかめる

    鳩は雨にぬれて車庫の屋根からまいおりる

 

    君らは雨にぬれて君らを逐(お)う日本天皇をおもい出す

    君らは雨にぬれて 髯(ひげ) 眼鏡 猫背の彼をおもい出す

 

                (中略)

 

    さようなら 辛

    さようなら 金

    さようなら 李

    さようなら 女の李

 

    行って あのかたい 厚い なめらかな氷をたたきわれ

    長く堰(せ)かれていた水をしてほとばしらしめよ

    日本プロレタリアートの後ろだて前だて

    さようなら

    報復の歓喜に泣きわらう日まで

 

 

この詩が、治安維持法のもと、天皇批判が死に結びつくこともあった時代に書かれたことを考えていただきたい。おそらくその緊迫した精神が、今の時代も我々の心を打つのである。

 

 次に僕が中野重治の中で一番好きな詩を全部紹介して、この文を終える。これも絶対に教科書にはのらない詩である。

 

          豪傑

 

    むかし豪傑というものがいた

    彼は書物をよみ

    嘘をつかず

    みなりを気にせず

    わざを磨(みが)くために飯を食わなかった

    後指(うしろゆび)をさされると腹を切った

    恥しい心が生じると腹を切った

    かいしゃくは友達にして貰った

    彼は銭をためる代りに溜めなかった

    つらいという代りに敵を殺した

    恩を感じると胸の中にたたんで置いて

    あとでその人のために敵を殺した

    いくらでも殺した

    それからおのれも死んだ

    生きのびたものはみな白髪になった

    白髪はまっ白であった

    しわが深く眉毛がながく

    そして声がまだ遠くまで聞えた

    彼は心を鍛(きた)えるために自分の心臓をふいごにした

    そして種族の重いひき臼をしずかにまわした

    重いひき臼をしずかにまわし

    そしてやがて死んだ

    そして人は 死んだ豪傑を 天の星から見分けることが出来なかった