昔はあった給付型奨学金

                                     更新日:2016年3月25日

作家 丸山修身

 

 最近、子供の貧困が大きな社会問題になっている。特に女性の一人親の場合、子供が貧困に陥る場合が著しく高い傾向がある。

 これと関係するのだが、最近、奨学金問題が国会で頻繁に取り上げられるようになった。よろこばしいことである。どうしてこの問題に光が当たらないのか、僕はつねづね不思議で、また憤りをもって見ていた。

 奨学金返還の義務を負うということは、社会に出るにあたって、借金を背負って出ていくということである。その負担に耐えきれないというのだ。国会の質疑では、給付型奨学金、つまり返さなくてもいい奨学金を創設すべきだと野党議員がさかんに政府に迫っている。

 

 返さなくてもいい奨学金、実はこれが昔は存在したのである。僕は学生時代その恩恵を受けたので、今回は奨学金制度について書くことにする。本人が言うのであるから、間違いはないはずである。

 

 それは「特別奨学金」という制度であった。大学生の場合、普通の貸与型の奨学金、つまり返さなければならない月3000円の他に、9000円が上乗せされ、この分は返す必要がなかった。紛れもなく給付である。高校生では、貸与型の奨学金1500円の他に、もう1500円が給付された。

 つまり大学生でいえば月1万2000円のうち3000円だけ返せばよく、高校生では3000円のうち、1500円だけを大学卒業後最長20年かけて返還すればよかったのである。この金に利子がついたかどうか。たぶんつかなかったのではなかったかと思うのだが、この点は記憶に自信がない。20年間、年に1万円程度の返還であったから、あまり関心がなかったのだ。苦労することもなかった。

 

 これはつまり給付型と貸与型を組み合わせた奨学金であった。特別奨学金は申し込めば誰でももらえるというものではなく、家の経済状況を記した書類を提出するのはもちろんだが、試験があった。進学する前年、つまり高三と中三で受けた。英語はなかったが、数学と算数をミックスしたような知能試験めいた試験であった。

 中三の時は、はるばるバスと汽車を乗り継いで山の中から長野市まで出て行き、会場は長野工業高校だったとはっきり記憶している。周囲がみな秀才顔にみえ、圧倒されたのを憶えている。

 満額受給には条件がもう一つあった。必ず下宿生でなければならなかった。つまり親の家から通える者は満額対象とはならなかったのである。おそらく地方出身者を思っての制度だったに違いない。

 

 僕が大学に入った年(昭和42年―1967年)の大卒国家公務員の初任給を調べると、2万4,5000円である。とすると、その半額、今の金にして月10万円程度の奨学金を受け取り、そのうちの四分の三、7万5000円は返す必要がなかった。

 当時はまだ振り込みなどはなく、学生課にいって現金の手渡しで受け取ったが、夏休み中は給付がなく、休み明けに二ヶ月分一緒に受け取った。この時は本当にうれしかった。公務員の初任給とほぼ同額の2万4000円を受け取るのであるから、裕福になった気がするのである。飲む酒もとりわけうまかった。

 

 それから20年ほどを経て、僕が高校生の家庭教師をしていた時のことである。ある生徒が言うに、家庭の事情があって大学進学にあたって奨学金を受けたいという。そこで僕は、奨学金の役所であった日本育英会(2004年1月より日本学生支援機構)に電話をしてみた。その時、特別奨学金の制度がなくなったことを知った。

 そこで僕は、現行の奨学金制度について訊ねた。この時の電話のやりとりほど不快きわまりない電話はなかった。いま思い返しても、はらわたが煮えくりかえる思いがする。相手のへっぽこ役人がやたらに威張るのである。

 僕の方は相談しているのであるから、丁寧に答えてくれればいいものを、まるで探偵であるかのようにねちねちとこっちの事情を訊ねてくる。

 話しているうちに分かってきた。つまり金をくれてやる、又は貸してやる、という感覚なのである。なんという思い上がりであろう。まるで自分の金をお情けで貸してやるかのような口ぶりであった。

 

 当時の日本育英会は文部省の外郭団体であったのだろう。役所では下っ端ほど外に向かって威張りたがるらしい。そもそもこういう人達は何を楽しみに仕事をしているのか。「消えた年金」問題では、当時の社会保険庁(現在は日本年金機構)のずさんな仕事ぶりが大問題になった。ちゃんと仕事をしていないのである。

 僕は常々思うのだが、こういう人達の仕事というのは、創意工夫を求められたり、特別の努力を要することがないのではないか。基本的には決められたことだけを黙々と処理していくということだろう。こういう仕事を毎日しているのであれば、僕などは間違いなく、ちんたらちんたらと働くようになる。

 決められた事務を黙々とこなしていくだけの、面白くない日常。努力が評価されることがないとなれば、誰でも真剣に働くのが馬鹿らしくなるのではないか。演劇や文学とはまったく対照的な別世界である。

 

 現在の奨学金は利子つきと無利子の二種類に分かれる。いずれも貸与で返還しなければならず、昔の特別奨学金のような給付を含んでいない。これは明らかに改悪である。

 それ以上に僕が呆れ、憤ったことがある。それは奨学金返還の利子のことである。なんとそれが、普通預金の利子よりも高かったのである。こんなバカなことがあるだろうか。まさにぼったくりではないか。僕は役所の無能と無情、いい加減さに呆れはてたものだ。国会で取り上げた議員も一人もいなかった。今から20年近く前のことである。

 僕はその時、大学入学後の受給予約を終えた生徒に言ったものだ。

「いいか。きみはサラ金や銀行から金を借りるんじゃない。勉強するために国から借りるんだ。こんな理不尽なことをやっているところに、無理に返す必要はない。堂々としていろ」

 この利子の問題、今はどうなっているだろう。

 

 自分の責任でもないのに、最初から大きなハンディキャップを背負わされるのは間違っている。その意味で、奨学金の問題に光が当たってきたことを僕は関心と期待をもって見守っている。ここには日本の社会の問題がよく表れている。