蔵の中

更新日:2014年3月31日

作家 丸山修身

 

 去年秋、田舎の土蔵を取り壊す時のことであった。そのちょっと前に、中に納められているものを調べていて、僕は実に不可解なものを見つけた。天体望遠鏡である。
 茫然と立ちつくして、僕は一緒にいた姪とその娘に訊ねた。
「これは誰のもの? 誰が見たの?」
「それ、おじいちゃんだよ。わたし、小さい頃、見せてもらったおぼえがある」
 姪の娘が答えた。彼女が言う「おじいちゃん」とは、僕の兄のことである。
 僕はただ驚くばかりであった。山の百姓であった兄はおよそ無趣味な男で、酒を飲むこととタバコを吸うことぐらいしか楽しみがないものだと僕はずっと思い 込んでいたのだった。その兄は十一人兄弟の三男、末っ子で八男の僕とは二十近く年が違い、現在、終末期医療の病院に入院中である。
 ちゃちな天体望遠鏡ではない。白い筒部分は、太く、長く、素人が扱うものにしては大型である。木の箱も立派だ。値もかなり張ったのではないか。いったい どうしてこんなものを買ったのだろう。あるいは何かのクジにでも当たったのか。いや、いや、そんなはずはない、と僕は思案に暮れるばかりであった。

 僕は天体望遠鏡を前にして、ふっと、青森県八戸市出身の作家、三浦哲郎の『拳銃』という短編の名作を思い出した。作者を思わせる「私」は父親の死後、遺品の中に一丁の拳銃を見い出して、途方にくれる。田舎の平凡な呉服屋であった父親が、こんな物騒な代物を常時持っていた理由が、「私」はどうしても分からない。
「私」はふっと思いつく。考えてみればこの家系は、さまざま不幸に見舞われ続けた家であった。兄弟のうち、姉二人が自殺、 兄二人が行方不明、一人残った姉は視力障害、その他にも、周辺に何人もの自殺者が出ている。同じ血は「私」にも流れ、父親も、怖ろしい死の誘惑がいつ自分 に襲いかかるかと脅えていたはずだ。
 「私」は、はっと思いつく。その文章をそのまま引こう。

       この拳銃こそが、父親の支えだったのではあるまいか。その気になりさえすれば、いつ               だって死ねる。確実に死ぬための道具もある。―そういう思いが、父親をこの齢まで生き              延びさせたのではあるまいか。

    もちろん天体望遠鏡はそんな物騒な代物ではない。僕はしかし次第に兄の気持ちが分かるような気がしてきた。というのは、似たような体験が僕にもあったことを思い出したからである。
    あれは中学の二年か三年の時であった。学校に理科の備品として、新品の天体望遠鏡がやってきたが、さっぱり利用しない。ガラス棚の奥で、お飾りになっているばかりである。
    僕はそれを使って無性に月や星を見たかった。ちょうどこの頃、僕が中学二年の4月(昭和36年・1961年)に、ソ連(現ロシア)のガガーリンが人類初 の有人宇宙飛行に成功したばかりで、大いに宇宙熱が高まっていた。担任の村上正夫先生が理科教師でもあったので、僕の願いを申し出ると、天体望遠鏡を家に 貸し出してくれた。
    僕は月よりもむしろ木星の輪を見たかった。しかし天体望遠鏡の操作の仕方が分からず、結局月のクレーターを覗いただけで終わった。
    
 今、あの体験を思い出してつくづく考えるのは、当時の田舎にあった夜の闇である。山の奥なので、家々が寝静まると、まったくの闇となる。そんな中、風が 吹くと周辺の森がザーッザーッと不気味に鳴り続ける。そういう時、心底、お化けや幽霊が怖かった。暗黒の奥深くに連れ去られるかのような全身の恐怖で、何 か得体の知れぬ怪物がひそんでいるという感覚である。

    「闇」といえば、僕がいつも思い浮かべる文章がある。オランダの歴史家、ヨハン・ホイジンガの名著『中世の秋』(1919年出版)の書き出しである。
これがもう100年も前の文章だということに注意していただきたい。

       世界がまだ若く、五世紀ほどもまえのころには、人生の出来事は、いまよりももっとくっ

     きりとしたかたちをみせていた。……夏と冬との対照は、わたしたちの経験からはとても

     考えられないほど強烈だったが、光と闇、騒がしさと静けさの対照も、またそうだったの

     である。現在、都市に住む人びとは、真の暗闇、真の静寂を知らない。ただひとつまたた

     く灯(ひ)、遠い一瞬の叫びがどんな感じのものか知らない。(『中世の秋』第一章・

    「はげしい生活の基調」堀越孝一訳



    ここまで書いてきて、僕はふっと思い出した。つい先日、上橋菜穂子さんが児童文学のノーベル賞といわれる国際アンデルセン賞を受賞するといううれしい出 来事があった。夕方のNHKニュースを見ていたら、上橋さんが次のように語っていた。―昔、母方の祖母が北信濃の野尻湖畔に住んでいて、子供の頃、その家 で過ごしたことがある。その時に、夜になると全く何も見えない本物の闇を体験したことが、その後ものを書く上で、どれだけ役立ったか知れない。
    そうだろう、と僕も思う。この「まったき闇」の感覚なくしては、シェイクスピアも、世阿弥の夢幻能も、柳田國男『遠野物語』も、本当の理解は出来ないの だ。シェイクスピア劇になぜしばしば、亡霊や妖精が登場するか、考えていただきたい。それは日常の暮らしのすぐ周辺に、深い闇があったからである。能楽で いえば、漆黒の闇の奥から、ゆらめくかがり火のうす明かりの中に立ち現れるシテ方の亡霊は、どんなに観る人の魂を揺すぶったことだろう。
    
    一方、闇が深ければ深いほど、月星は不気味なほど冴え冴えと輝き渡る。特に晩秋の満月は、一種異様な精神状態に人を誘う。こんな夜は、月を見上げて何か を想わない方がおかしい。おそらく『竹取物語』のかぐや姫の話は、こんな夜を母胎に生まれたのではないか。月をめぐるさまざまな神話もそうである。また、 星座。みなさんも、よくあの無数にちりばめられた星々を、「蟹(かに)」や「蠍(さそり)」や「山羊(やぎ)に見立てたものだと、不思議に思わないだろう か。
    まったき闇―それを喪った時、人間はまた途方もなく大事なものも喪ったのではないだろうか。
    
    昼のように皓々(こうこう)と明るむ夜空を見上げて、あの無粋(ぶすい)にみえた兄も、月や星をじっくり見てみたいと熱く願う瞬間があったのではない か。しかし、買ったはいいものの、天体望遠鏡の操作は手に余り、ほんの数回しか覗かなかったに違いない。ほとんど新品であったから。
    兄の命はもうそう長くはないが、そういう時があったことを知って、僕はどことなくほっとしている。