茨木のり子・性行為の夢

更新日:2013年11月29日

作家 丸山修身

 

   3月11日の大震災があった後、僕は何日か、ラジオのFM放送でクラシック音楽を低く流しながら、茨木のり子と三好達治の詩だけを読んでいた。
    テレビでは、津波が家並みを飲み込み押し流す場面が繰り返し流され、死者数も刻々と増えていく。また福島では原発の状況がどんどん悪化していく。そんな中で、僕は神経がおかしくなりかけたのである。僕はテレビを見るのをやめ、新聞もストップした。そんな僕をもっとも癒(いや)してくれたのは、ひたすら好きな詩を読むことであった。今回はそんな詩を紹介する。
    
                       倚(よ)りかからず
                                     茨木のり子
    
                     もはや
                     できあいの思想には倚りかかりたくない
                     もはや
                     できあいの宗教には倚りかかりたくない
                     もはや
                     できあいの学問には倚りかかりたくない
                     もはや
                     いかなる権威にも倚りかかりたくない
    
                     ながく生きて
                     心底学んだのはそれぐらい
                     じぶんの耳目
                     じぶんの二本足のみで立っていて
                     なに不都合のことやある
    
                     倚りかかるとすれば
                     それは 
                     椅子の背もたれだけ
     
    どうだろう、この凜とした精神!決して声高に叫んでいる訳ではない。それでも、いや、それゆえにこそ、心に深く沁(し)みるのである。『茨木のり子全詩集』(花神社刊)はいつもすぐ手が届く机の前の書棚に置いてある。
    本物の芸術がいかに人間にとって必要かということを、僕は東北大震災の時まざまざと実感したのであった。それは人が人間らしく生きていくために、必要欠くべからざるものだ。決して無用のすさびごとではない。演劇も同じである。それが時としてどんなに大きな救いとなりうるか。
    
    この茨木のり子、49歳の時、夫を癌で亡くした後、夫との性行為を夢に見る詩も書いている。生前には発表されなかったが、珍しいと思うので、少々長くなるが、全て紹介する。
   

                       夢               
    
                     ふわりとした重み
                     からだのあちらこちらに
                     刻されるあなたのしるし
                     ゆっくりと
                     新婚の日より焦らず
                     おだやかに
                     執拗に
                     わたしの全身を浸してくる
                     この世ならぬ充足感
                     のびのびとからだをひらいて
                     受け入れて
                     じぶんの声にふと目覚める
    
                     隣のベッドはからっぽなのに
                     あなたの気配はあまねく満ちて
                     音楽のようなものさえ鳴りいだす
                     余韻
                     夢ともうつつともしれず
                   からだに残ったものは
                   哀しいまでの清らかさ

                     やおら身を起し
                     数えれば 四十九日が明日という夜
                     あなたらしい挨拶でした
                     千万の思いを込めて
                     無言で
                     どうして受けとめずにいられましょう
                     愛されていることを
                     これが別れなのか
                     始まりなのかも
                     わからずに

    もって瞑すべし。このように思い出してもらって、死んだ夫もどんなに喜んでいることだろう。
    
    性行為といえば、男の方から詠まれたものとして、吉野秀雄の短歌がある。次に、癌で死にゆく妻との性行為を詠った、壮絶な三首を紹介する。死ぬ前日の夜のこと、と吉野は書いている。
    
   真命(まいのち)の極みに堪へてししむらを敢(あへ)てゆだねしわぎも子あはれ
     これやこの一期(いちご)のいのち炎立(ほむらだ)ちせよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹(わぎも)
   ひしがれてあいろもわかず堕地獄(だぢごく)のやぶれかぶれに五体震(ふる)わす

    妻の方が強くせがんだ、ということも吉野は書いている。このようなことが可能かと問うことなかれ。あっても不思議でないと知るべし。 
    死にゆく妻の心をもっとも癒(いや)し、不安を鎮めてくれたのは、愛する夫との全身全霊をかけた愛の思い出であった。