London Diary

Vol. 2

23 August 2023

Umi Shimodate


『17ヵ国、50人との出会い』

 

ケンブリッジは私の第二の故郷、ロンドンが東京だとするとケンブリッジは仙台のような場所。

 

5歳のときに1年間、この街で家族と暮らした。当時は、英語なんて読むことも書くとも話すこともできなかったが、家から徒歩5分のPrimary Schoolに通うことになった。

 

今でも忘れられないことがひとつある、恥ずかしく、苦い記憶。苦い思い出というのはなぜこんなにも忘れられないものなのだろうか。

 

私が初めてクラスに混ざった日、20人くらいいる生徒の前で突然一人でぽつんと立たされた。先生が「自己紹介をお願いします!」と。

あの頃から、私はとても恥ずかしがりやな性格だったので名前と年齢だけ伝え20人の輪に戻ろうとした。すると先生がWhat is your favorite “toilet”? と聞いてきた。私の中の頭は「?」が100個くらい浮かんでいた。なぜ…..自己紹介で好きなトイレの話……?好きなトイレ…..??どういうこと…英語が話せないため助けを求める事も出来ずとにかく困った顔をしながら無言で立ち尽くすしかなかった。5歳の私にも気まずいと感じさせるほどの静寂な間はもう二度と経験したくない。

そして、私は気づいた。目の前にいる子たちが立ち尽くす私に人形を見せてきたり、車の絵本を見せてくる様子を見て。

 

好きなtoiletではなく好きなtoy はなんなのか?という質問だったということに。

 

今考えたらあまりにもばかげている聞き取りミスである。初めて人の前で英語を話した日に、一番恥ずかしい思いをしたあの時間は5歳の私には体感1時間くらいに感じた。

 

これが私のケンブリッジ生活の始まりである。 

 

透き通った空気、温かい人たち、自然、街並み、穏やかに流れる時間。なにかに急かされているような、支配されているような気分には一切ならないこの穏やかなケンブリッジという場所はいつも私のピンっと張った糸をやわらかくゆるめてくれる。あの頃、よく行っていた川沿いのアイスクリーム屋さんはもうなくなっていたけれど、20年経った今もケンブリッジが奏でるやさしい音と緑の匂いはなにも変わっていなかった。そんなあたたかい思い出に溢れるケンブリッジをスタートラインに、2年間の英国留学の最初の一歩を踏み出すことにした。

 

人に出会うことは、自分の人生のパズルが形成されていくような感覚になる。

 

最初のケンブリッジのBell Cambridgeでの3ヶ月は出会いと別れの繰り返しだった。ケンブリッジはオックスフォードに並ぶ大学の街である。ケンブリッジ内にはカレッジがある33もある。Cambridge Schoolはケンブリッジ大学を卒業生が設立した外国人のための語学の予備門であり60年以上英語教育を提供しており、100万人以上の生徒が卒業している。キャンパスは語学学校とは思えないくらい広く、芝生は綺麗に管理されている。私はそこで、およそ50人以上の友達に出会った。短期間でこれだけの人数の人に出会い、別れることはもう今後ないだろうと思うくらいだった。

 

何カ国の子たちに出会っただろうか。思い出してみる。

ドイツ、フランス、トルコ、ボリビア、中国、韓国、台湾、タイ、ロシア、イタリア、ウクライナ、サウジアラビア、ブラジル、メキシコ、スイス、スペイン、アルゼンチン。17カ国。映画館で上映開始と共にスクリーンが広がるように私の視界もじわじわと広がっていく。世界は広い、本当に広い。

 

私が初めて友達になった子はボリビア出身の子だった。ボリビア、ウユニ塩湖がある国。日本から飛行機で36時間と53分。正直あまり馴染みのない国だった。日本にいたら出会うことも恐らくないだろうと思うくらい遠い。その子はAnaという名前の子だった。人情深く、やさしく、気遣いができる、18歳とは思えないくらい自分の意見を確立している素敵な子だった。

 

みんなユーモアのある面白い子たちばかりだ。

アルゼンチンの友人は、授業中にも関わらず不思議な形をしたカップにストローを挿して毎日なにかを飲んでいた。マテ茶というらしい。メキシコの友人は「Umiが遊びにくるときはテキーラを持って空港でまってるよ!」とよく言ってきた、とても陽気。サウジアラビアの友人は一度クラスの空気を一瞬だけひんやりとさせた「僕の国では、今このクラスにいる女子全員と結婚することもできるよ」と。一夫多妻制。法律上4人まで奥さんをもてるらしい。今のセンシティブな時代にこの発言はちょっと危うい空気にもなる。でも、我々にとっては当たり前でなくとも、彼らにとっては日常なんだなぁ。ラクダを100頭飼ってるというサウジの子もいた。私が日本人だと分かるとほとんどの子たちから発せられる第一声は「Sushi!!!」である。国名がいつか「日本」から「寿司」に変わってもおかしくはないのではないかと思うほど寿司の人気は健在である。

 

語学の勉強は底がない。昨日できたと思ったら今日できない、1歩前進したと思ったら100歩くらい後退してる、ような感覚。この勉強すればするほど話せなくなっているような現象は練習すればするほど走るのが遅くなっていた中学の陸上部時代と重なって泣きそうになった、何度か。だって、みんな英語を勉強しにきてるはずなのに、英語が難なく話せている。というより、英語の文法や単語の間違いに恐れていない、が正しいのかもしれない。「文法があっていなかったらどうしよう、発音が間違っていたらどうしよう.…」が頭のなかをぐるぐるとループし、少しだけあった自分の英語への自信は迷子になった。英語を話すために、一番大事なことは「間違いを恐れないこと」だと気づく。

 

最初に友達になったAnaとは3週間しか一緒にいなかった。その子が母国に帰る前日、いつも一緒に昼食をともにしていた韓国、トルコ、メキシコ、台湾人の友人たちとケンブリッジ大学の前にある綺麗に整えられた芝生の上に座った。灼熱の太陽が先ほど買ったアイスクリームを容赦なく溶かしていることに気づくこともなく夢中になって話した。みんながこの瞬間を大切にしたいと思ってることは言葉にしなくても伝わってきた。

 

世界のことを知るには、その国の人と直接話してやっと国の文化やその国の色を知れるのだなと何度も感じた。人間と同じだ。その人と話す前にこういう人かもしれないと勝手に決めつけてしまうことがたまにあるが、よく話してみると自分が思っていた人とは全然違かった時のような。固定概念はよくないとつくづく思う。

 

Anaは「いつか絶対日本に遊びにいくからね」と言って空港に向かうバスに乗って行った。私は「ボリビアにも遊びに行くよ」と返した。「行けたら行くね」ではなくて。どんなに遠い国だとしても、地球の裏側に住んでいたとしても会いにいかなければならないと思った。