オリンピック

      更新日:2012.8.5

作家 丸山修身

 

 ロンドンオリンピックがたけなわである。みなさん、それぞれ好きな競技をもち、一喜一憂して応援していることだろう。

 僕が一番心待ちにして見たいのは、陸上競技である。それもトラック競技の中長距離が好きだ。先日、NHKの夜のスポーツ番組に、プロ野球前中日監督・落合博満氏が登場して、陸上の八百メートルから一万メートルが一番楽しみだと語っていて、まさに僕とぴったりだったので驚いた。

 何が面白いか。単純にトラックを回っているように見えるが、様々な駆け引きがあり、一万、五千など、ラスト一周の鐘が鳴ったあたりから一気にスピードが上がる。最後の直線でのスパートの切れ味はうっとりするばかりだ。それは最初から全速力の百メートルとは違った醍醐味である。このためにどれほどきびしい努力を重ねたことか。それがくっきりと見えるのである。日本選手はとてもメダルには及ばないが、それでもわくわく心躍る。そもそも僕は日本選手の活躍に期待するよりも、世界最高のレースを見たくてオリンピックを楽しむのである。

 室伏広治のハンマー投げも楽しみだ。投擲(とうてき)競技はまさに一瞬で決まる競技だが、その背後には、膨大な努力と技術の累積が秘められている。単純そうに見えるが、わずかのミスが命取りとなる。そんなきびしく奥深い競技を僕は好む。卓球、レスリングも大好きだ。

 ついでに僕が一番つまらないと感じる競技も開陳しておく。それは射撃である。そもそも日本では、誰もが自由に射撃を練習することが法律上出来ないようになっている。従って出場者のほとんどは、自衛隊か警察関係者となる。そもそも射撃がスポーツだろうか。射撃の本質は、命を撃ち殺すものだ。見ていても、的をめがけて引き金を引くだけ、面白くも何ともない。なぜこの射撃競技がオリンピックで存続しているかといえば、IOC(国際オリンピック委員会)を牛耳っているのが、射撃が盛んな欧米諸国だからだろう。

 

 今まで最も印象深かったオリンピックといえば、やはり昭和三十九年(1964)の東京オリンピックをあげなくてはならない。当時僕は高校二年生であったが、昂奮して毎日テレビの前に張りついていたものだ。

 一番印象に残っている場面は何か。それは女子バレー「東洋の魔女」の金メダルの瞬間でもなければ、「鬼に金棒 小野に鉄棒」と言われた秋田県能代出身・小野喬の体操金メダル(団体総合)でもない。また柔道で、東北高校出身・神永昭夫がオランダのヘーシンクに押さえ込まれた瞬間でもない。それはマラソンで、福島県須賀川出身の円谷幸吉(つぶらやこうきち)が、競技場内で英国のヒートリーに抜かれ、メダルが銀から銅に後退した瞬間である。疲れ切った円谷はまったく無抵抗に抜き去られ、倒れんばかりになってゴールインして、タオルをかけられた。ぐったりと眼を閉じて脱力した姿に何ともいえない哀切さを感じ、その瞬間、僕は円谷幸吉という人間が好きになっていた。

 この円谷、その後、劇的な人生を辿った。期待された次のメキシコ大会を前にして、所属する自衛隊体育学校の宿舎自室で、カミソリで頸動脈を切って自殺したのである。次に紹介するのはその時の遺書である。

 

 父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました。(注ー福島では正月三日にとろろを食べる風習がある)干し柿、モチも美味しうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しうございました。・・・・・・巌兄、姉上様、しそめし、南ばんづけ、美味しうございました。喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しうございました。またいつも洗濯ありがとうございました。幸造兄、姉上様、往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか、美味しうございました。・・・・・・幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れきってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まる事なく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。

 

 この訥々(とつとつ)とした文には、無駄な修飾がまったくない。これを読んで当時の文壇の大御所、川端康成と三島由紀夫が感動を表わす文を発表した。特に三島由紀夫は『円谷二尉の自刃』という文章で、「美しい自尊心による崇高な死」と称揚した。拳銃ではなく、カミソリで血潮を散らして死んだことに特に心を動かされたようで、およそ二年半後の割腹自殺死を予見させる言葉を吐いている。この時、三島はすでに覚悟を決めていたのである。

 また「ピンクピクルス」という女性フォークデュオが、『一人の道』という哀切きわまる曲を作って円谷の死を歌った。この歌も僕は大好きで、何度心をふるわせて聴いたことだろう。今でも我知らず口ずさんでいることがあり、自分でも驚く。You Tube で聴くことが出来るので、みなさん、機会があったら耳を傾けていただきたい。