月光仮面・田舎の同級会

更新日:2017年11月3日

作家 丸山修身

 

 

先月10月21日(土)、田舎の小中学校の同級会に出席した。場所は北信濃・志賀高原ふもとの穂波(ほなみ)温泉である。スキーなどで志賀高原に行かれたことがある人は、長野駅からの電車の終点、湯田中駅のすぐ近くだといえばお分かりだろう。

この辺りは温泉が多く、その一つが、猿が温泉につかることで有名な地獄谷温泉である。湯の中で、頭にちょこんと雪がのっかった姿はユーモラスだ。この猿たち、外国人に「スノーモンキー」として大変人気があるそうで、まだ雪の季節ではないが、電車には欧米系の外国人が多く乗っていた。

 

卒業時の正確な学校名は、飯山市立富倉小学校、飯山市立飯山第二中学校富倉部校であった。中学の方は二年後に統合されて閉校になることが既に決まっていたが、まだ新校舎が出来ていなかったので、こういう変テコな校名になったものと思われる。「分校」ではいかにも僻地めいて響くので、「部校」などという、ふにゃふにゃした意味不鮮明な名をひねり出したに違いない。

同級生55人中、男11名、女4名の計15名の出席であった。毎年今頃、地元在住の者を中心に志賀高原ふもとの温泉で行われ、僕は数年ごとに東京から出向くのだが、この季節、紅葉も楽しみの一つである。東京近辺では見られない、全山燃え立つような、うっとりと圧倒される紅葉なのだ。それに、リンゴ畑が一面に広がり、たわわに実った赤いリンゴの景色がとても美しい。

 

僕達は昭和22~23年(1747~48)生まれの団塊の世代である。当時の田舎では中学を卒業すると、東京、川崎、名古屋などに就職していく者が多かった。経済の高度成長期で、働き手が足りず、中卒就職者は引っ張りだこ、「金の卵」ともてはやされたものである。

しかし彼らの殆どが、何年かして田舎に帰ってきた。「金の卵」は、不況になると打ち棄てられるのも早かったのだ。結局、郷里の近くで働く場所を見つけて、今も飯山の近辺、中野市、須坂市、小布施町などで暮らしている。

 

農村でありながら、農家を継いだものはほとんどいなかった。すでにこの頃、山間地の農業は先行きに希望を喪っていたのである。

それに比して、親の職業を継いで大工や、屋根や(屋根葺き職人)などの職人になった者は多かった。彼らはその後ずっとこつこつと働き、立派な職人、棟梁(とうりょう)となった。彼らと語らうのは実に愉しい。僕が知らない世界を覗くことが出来るからだ。

彼らの話は実際に即して、実に具体的である。まさに「ものをつくる」世界に生きているのだ。どんなに立派なことを言っても、屋根から雨が漏ったり、床が傾いたりしたら、オハナシにならない。そういう逃げがきかない世界に生きてきた職人を、僕は好きで、尊敬している。

 

例えばこの日話題になったことの一つに、岐阜県北部、飛騨地方の合掌集落「白川郷」の屋根葺(ふ)きがある。みなさんもテレビで、大勢の村人やボランティアが屋根にのぼり、茅(かや)を手渡しで屋根に張りつけている映像をごらんになったことがあるのではないか。

これは素人の僕にも「おかしい」とすぐ解った。穂がついたまま茅を使っていたからである。屋根につかう茅は、穂は切り落とし、固い茎の部分だけを使うものなのだ。僕はそれを子供時代に見ていた。

またあんなに大勢がびっしりと屋根に上らない。つまりあれはあくまでもテレビ向け、観光宣伝用に演出されているのだ。茅はおそらくそう長くもたずに、屋根から抜け落ちるはずである。こういう話を専門家としていると、実に面白い。

 

会って語れば、一瞬で昔の少年少女の頃にかえっていく。職業、学歴、性別なんぞは関係ない。宴会でにぎやかに一杯やった後は、カラオケスナックに行って歌を歌った。

僕も久しぶりに何曲か歌ったが、いちばん最後にとっておきの十八番(おはこ)を歌った。昔なつかしい『月光仮面』の歌である。

『月光仮面』は昭和33年(1958)から34年(1959)にかけて、ほぼ一年半にわたって現在のTBSで放送された冒険活劇番組である。黒めがねに白ターバン、白ふくめん、白マフラーのヒーローである。人が悪人によって危機に陥ると、オートバイにまたがってさっそうと現れる正義の味方である。

まだ当時村にテレビがなかったので、テレビでは見なかったが、漫画にもなったので、誰もが『月光仮面』を知っていた。マフラーの代わりに風呂敷を首にまいて駆け回っていたやつがいたことを記憶している。歌は大ヒットしたので自然に憶えたものだ。

 

 その歌、少々長いがすべて紹介する。

 

 月光仮面は誰でしょう

                     川内康範作詞  小川寛興作曲

 

     どこの誰かは知らないけれど  誰もがみんな知っている

   月光仮面のおじさんは  正義の味方よ  よい人よ

      疾風(はやて)のように現れて  疾風のように去っていく

 月光仮面は誰でしょう  月光仮面は誰でしょう

 

     どこかで不幸に泣く人あれば  かならず共にやってきて

        真心(まごころ)こもる愛の歌  しっかりしろよとなぐさめる

誰でも好きになれる人  夢をいだいた月の人

 月光仮面は誰でしょう  月光仮面は誰でしょう

 

     どこで生まれて育ってきたか  誰もが知らないなぞの人

 電光石火の早わざで  今日も走らすオートバイ

 この世の悪に敢然と  戦いいどんで去っていく

月光仮面は誰でしょう 月光仮面は誰でしょう

 

僕が歌い出すとたちまち大合唱となった。何よりも元気がでるのがいい。歌詞に表現されているように、ここには「正義」があり、「悪」があり、「不幸」、「夢」、「真心」、「愛」があった。それは僕達が育った時代を覆っていた空気、雰囲気のようなもので、「勧善懲悪」のエトスが強く押し出されている。

こういう空気を吸って少年時代を生きたということは、大人になってからのものの考え方、行動になんらかのかたちで影響をおよぼしているはずである。突飛な考えだと思われるかもしれないが、僕達の学生時代に吹き荒れた過激な学生運動とも根っこがつながっているに違いない。つまり自分の側に「正義」があり、相手を「悪」とみなす思考の傾向である。この傾向はいつの時代もかたちを変えて底に流れていて、例えばオウム真理教などもその一つだろう。

世界を単純に理解すると楽なのだ。しかし実際の社会はずっと複雑である。

 

翌日、楽しみにしていた紅葉は、残念ながら満喫(まんきつ)することが出来なかった。季節外れの雨台風・21号襲来のためである。本当は山に登ってブナ林の黄葉を見たかったのだが、この季節の雨は志賀高原では雪となる。

僕はあきらめ、交通が止まるのをおそれて、残念な思いいっぱいで新幹線で逃げ帰ってきたのだった。