丸山修身のつれづれ日記

シェイクスピア・カンパニー脚本構想でも御協力いただいている作家 丸山修身(まるやまおさみ)さんの月刊コラムです。(バックナンバーはこちら


本コラムが本になりました!

『青草の道』(鳥影社、2016年4月5日発刊)

 

本書は、これまでのコラムに手を加えて一冊の本にまとめたものです。

「ふるさと茫茫」「びっくりすること」「歴史のほとりにて」「いじらしき日々」「文学と演劇の言葉」の5章から構成されています。

著者曰く、「僕個人の体験を語りながらの一つの時代史と思っていただいてよい。田舎での幼い頃の暮らしと比べると、現在、東京で別世界を生きているかの感があるのである。それほど変化の激しい時代であった。団塊の世代の一人としてそれを記録しておくことは大きな意味があると考えた」とのこと。

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古川学園・夢の彼方へ

更新日:2017年8月7日

作家 丸山修身

 

先月7月13日のこと、カンパニー主宰・下館さんが始めたTwitterを覗いて、思わず、「万歳!」と快哉(かいさい)を叫びたい気持ちになった。それは宮城県北部、大崎市に建つ古川学園の中学一年生が、全員参加でカンパニーの『仙台湾の夏の夜の夢』を学芸会で上演することになったという書き込みである。1996年(平成八年)初演であるから、およそ20年ぶりの舞台化ということになる。

僕はうれしさを抑えきれず、すぐ下館さんに直接電話を入れた。これこそ僕が望んでいたことであったからだ。

 

カンパニーが出来た時、僕には遠大な夢があった。そしてそれをしばしば下館さんに語った。それは将来、東北の各地で中学生高校生が、カンパニーのシェイクスピアを上演するようになってくれればいいなあ、という願望だった。上演は全部が無理なら一部だけを選んでやってくれてもいいし、地元に合わせて少々脚本を変えてもかまわない。とにかく地域に密着して、融通が利く自由なかたちにして愉しく演じてくれればどんなにうれしいことだろう。

そんな僕の夢が、まさに今、実現しようとしている。これがうれしくない訳があろうか。

 

古川学園といえば、以前の「古川商業」という校名であった頃から、僕には高校の女子バレーが強い学校というイメージがもっぱらであった。特に僕は、2000年代半ばに活躍した同校卒業の菅山かおる選手のファンで、彼女がテレビに映ると必ず試合をみたものだ。

何よりも印象的だったのは、その肌の白い美しさである。目もぱっちりして、こんな妖精のようなバレー選手はかつていなかったのではないか、とうっとりする思いでみたものである。愛称「かおる姫」の人気選手であった。

古川学園―それがこれからは、演劇というもう一つの世界で僕の中で生きることになる。

 

僕は、人は生涯に一度は舞台に立って演じてみるべきだと考えている。それは他の人生、時空間を生きることでもある。古川学園の生徒さんたちは、それがいかに貴重な体験であり、大きな財産であったか、やがて大人になって理解するだろう。

 

およそ2500年も昔、ギリシャの有名な哲学者プラトンは次のように言った。

 

ぼくはまず、ちょうどそのとき祭りがおこなわれていた神アポロンへの讃歌をつくった。神のつぎには、アイソポスの物語を詩につくった。詩人は、もし真に詩人(創作者)たらんとするならば、事実を語るのではなく物語をつくるのでなければならぬ。

                                      プラトン『パイドン』 池田美恵訳

 

事実を語るのではなく物語をつくるーこれを演劇に引き寄せて僕流に解釈するなら、「観ているだけでなく自分で演じてみよ」ということだ。つまり本当に理解するためには、外から見ているのではなく自分で創って(演じて)みるべきだと言っている。

僕自身も小一から中三まで、毎年田舎の学芸会の舞台に立ったが、それがいかに貴重な体験になったか、思い返さずにはいられない。これは野球、サッカー、相撲などのスポーツ、俳句、短歌などの文芸でも変わらない。みずからの体で体験することにより、内側から理解するようになる。微妙なところが解って、愉しみが増すのだ。これはあらゆることの根本、要諦であると思う。

 

ここまで書いてきて、今朝8月6日の日経電子版に興味深い記事がのっていたので紹介する。「トヨタも一目、文化祭の国立校 一橋大にも一番近い」という見出しであった。

都立国立(くにたち)高校―日比谷高校、西校とならんで、都立進学校ベストスリーと呼ばれているという。僕のところからゆっくり自転車をこいで30分ほどなので、僕はときどきこの辺りに散歩にいく。

国立高校の文化祭は有名で、その一番の目玉は3年生8クラス320人のクラス演劇だそうだ。原則全員参加、都外からのファンも増えて、券を求めて午前4時半に校門に並ぶ人まで出たというから、すごい。

今年の演目は8つのうち2つがオリジナル、他も東野圭吾や石田衣良などを原作にして、自分達の脚本、演出で演じるという。

そして記事は、この演劇参加が、いかに生徒達の人生の大きな財産となっているかに焦点をあてて書かれている。級友たちと創意工夫を重ねて、一つの舞台を共同で創りあげていくのである。その効果に、世界のトヨタ自動車が注目しているというのだ。これは古川学園にとっても大きな支えとなるだろう。

 

役者はだいたい金はもうからない。しかしそれを上回る歓びがあるから人は俳優をやるのである。僕も田舎の学芸会では、今でも楽しい思い出しか残っていない。

子供の場合、演技の上手下手は問題ではない。他人の運命を生きてみること、自らの体を使って感情を他人に伝えるという体験、その歓びが貴重なのだ。これがなかったら、自分の小中学校時代、どんなにつまらなかったことだろうと今になって思う。

 

演劇の一番の特徴、強みは、生身の人間が目の前で演じることである。そこから生ずる感動、笑いは自ずから映画や文学から受けるものとは少々異なることになる。つまり少々ヘンでも、ヘンと感じないのだ。シェイクスピア演劇はずいぶん筋立てに無理や矛盾があるが、名優が目の前で演じるとその魅力の方が上回り、ヘンだと感じないようになる。

例えば田舎の学芸会を思い出しても、仲間の下手くそな演技にも大笑いしたものである。懸命な下手さが、むしろ笑いを呼ぶこともあるのだ。とにかく自分で演じてみることだ。それによって掴(つか)むものが必ずある。

 

僕の夢―それは木造の「みちのくグローブ座」が東北に出来て、そこで中学生高校生が、カンパニーの作品でなくてもかまわないから、劇を演じることである。僕は、東京中心の薄っぺら文化が跋扈(ばっこ)しているのが口惜しくてならない。地方の良きものを盛り上げたいのだ。東北にはそういう財産がたくさんある。

古川学園の生徒さんたちも、今回、生で演じる歓びを知るはずである。紅顔の中学一年生が、マグロやタコ、ワカメ、カキ、ホヤなどに扮して登場するのだろうが、今からその賑やかな笑いにつつまれた舞台が目に見えるようではないか。きっと成功するだろう。それが将来、いかに大きな糧(かて)となることか。

 

古川学園―これからは女子バレーだけでなく、演劇でも全国にその名を轟(とどろ)かせて欲しいと思う。都立国立高校のように。肩肘張らなくてもいい。続けていけば自ずとそうなるだろう。

これは僕の遠大な夢である。