丸山修身のつれづれ日記

シェイクスピア・カンパニー脚本構想でも御協力いただいている作家 丸山修身(まるやまおさみ)さんの月刊コラムです。(バックナンバーはこちら


本コラムが本になりました!

『青草の道』(鳥影社、2016年4月5日発刊)

 

本書は、これまでのコラムに手を加えて一冊の本にまとめたものです。

「ふるさと茫茫」「びっくりすること」「歴史のほとりにて」「いじらしき日々」「文学と演劇の言葉」の5章から構成されています。

著者曰く、「僕個人の体験を語りながらの一つの時代史と思っていただいてよい。田舎での幼い頃の暮らしと比べると、現在、東京で別世界を生きているかの感があるのである。それほど変化の激しい時代であった。団塊の世代の一人としてそれを記録しておくことは大きな意味があると考えた」とのこと。

ぜひお読みください。(アマゾンのページで詳細を見る

パン・その背後にあるもの

更新日:2017年5月10日

作家 丸山修身

 

もう先月4月のあたまになるが、パンがマスコミで話題になった。小学校一年生の道徳教材の記述が、文部科学省の教科書検定で、パン屋から和菓子屋に差し替えになったというのである。その理由が「伝統文化の尊重や郷土愛に関する点が足りない」というのだ。つまりパンは西欧の食であり、日本文化への愛が足りないということだ。

これに対して、全国のパン屋さんが怒った。「こんな失礼なことはない。パンこそ日本らしい文化ではないか」というのだ。実際、あんパンやクリームパンは、日本独自のパンなのだという。

 

この数日後、新たな展開があった。政府が、文部科学省の方からこの件に関して検定で意見を出したことはない、という答弁書を国会に提出したのだ。どうやら教科書会社が文部科学省の考えを忖度(そんたく)して、自主的に書き改めたようだ。大きく報道された割には、なんともしまらない結末であった。

しかし若い人はこの一連の騒動をみて、いったい何が問題なのか、よく理解できなかったのではないか。そこで今回は、その裏に横たわるものを僕なりに書いてみたい。

 

僕はこのニュースに接し、すぐ、これはパンだからこそ起こった騒ぎだと思った。僕にはその背後にあるものが実によく理解できるのである。というのは、パンというのは、僕達の世代にとって、単なる食べ物であることをこえて、特別の歴史や文化を負った、ある意味で時代の象徴だったからである。

僕の場合、外国、特にアメリカは、パンを通して入ってきた。米でなくパンを食べる生活。それはアメリカの豊かさの象徴であり、文化文明が進んでいる証明でもあった。若い人には解らないかもしれないが、これは団塊の世代以上、特に田舎に育った者には共通の深く染み込んだ思いのはずである。

食べ物の影響は、もっとも直接的で、強いものだ。パンにはそれが典型的に表れている。

 

それを表すものとして、パンにまつわる僕の直接の思い出を二つ挙げよう。その一つは昭和二十七、八年頃のこと、結核で長く療養していた隣家のおやじさんが、家で亡くなった。もう長くないと判った時、家族が、何かしてもらいたいことがあったら言え、と可能ならば最期の望みを叶えてやろうとした。

するとおやじさんは、「パンを食いたい」と答えたという。僕はまだ小学校に上がる前だったが、これは強い印象を残した。僕にはおやじさんの気持ちが実によく解る気がした。それほどにもパンは憧れの食べ物で、おいしいけれども手が出ない高級品だったのだ。少なくとも農村地帯の田舎では決して日常食べるものではなかった。

この話は村中にすぐ広まって、一つの哀話として語り伝えられることとなった。甘いあんこの入ったパンを腹一杯食べる暮らし―それは豊かさの象徴であり、夢であった。まさにこの一言に、おやじさんの人生が詰まっているように感じられたものである。

 

もう一つの記憶は昭和三十六年、僕が中学一年の時であった。この年からパン給食が始まり、それまで弁当持参だったのが、全員がコッペパンを食べることになった。ワラジかヘチマのような形をした大きいだけが取り柄のパンで、味はおせじにもいいとはいえなかった。

さて、金属の皿にどでんと無造作にのったパンを初めて食べる時のことである。誰もなかなか食べ始めない。さりげなく周囲の様子をうかがって、もじもじしている。食べ方を知らないのだ。

と、一番前に座っていた仲條秋彦くんが、意を決したようにパンの端に大口をあけてかぶりついた。

その時だ。教壇でみんなの様子を見ていた担任が、教壇を降りてきて、「パンというのはちぎって食うものだ」と叫ぶように言ってゲンコツをくらわせたのである。これにはびっくりした。

なにも殴ることはないではないか。先ずそう思った。僕も食べ方を知らなかったのだ。それだったら前もって教えればいいのだ。運の悪いことにこの担任、高校時代相撲をやっていたという怪力教師で、秋彦くんの脳天には大きなたんこぶが出来ていた。笑い話といえば笑い話だが、これもどこか哀しい話である。

今でも田舎の同級会があると、このことが話題となる。そして、あれはひどかった、と意見が一致する。昔はこのように、めちゃくちゃな教師が珍しくなかった。

 

ちょうどこの頃だっただろうか。米の飯を食べるとアタマが悪くなる、という説がまことしやかに流れたことがある。だからパンを食べろ、というである。その理由は、米と違ってパンにはアタマが良くなるビタミンがたくさん含まれている、というのだ。日本がアメリカに戦争で負けたのは米とパンという主食に違いによる、という極端な説もあったように記憶する。

僕は子供ながらに、まさか、と思った。人間は米やパンだけを食べているわけではないし、この説が正しいなら、日本の農村の子供はほとんど劣等児ということになる。

後に判明したことだが、この愚説には、余剰な小麦を処理したいアメリカ政府の農業貿易政策が背景にあった。アメリカ農民の利益を守るため、獲れすぎて処理に困った小麦を日本に売りたかったのだ。その手っ取り早い手段が、給食も含めて日本にパン食を広めることであった。

現在ならこれがいかに笑止な説であるか、はっきり理解出来る。なんと日本をバカにしたハナシであったことか。アメリカの尻馬にのって陳腐な愚説を流布させた学者や官僚は、ほとんど国賊ものである。

この時僕は、つくづく、ああ、日本は戦争でアメリカに負けたのだ、と思ったものだ。

 

また僕の大学仏文科時代の友人に、フランスにかぶれてご飯を食べない男がいた。その代わりにフランスパンを食べ、アルコールはワイン一辺倒であった。議論をするとフランス礼讃に終始し、そんバカなことがあるものか、人間が生きていればどこだって同じだ、という僕の意見と対立した。

これらの記憶はいずれも、物哀しさと滑稽さを両方伴っていることが特徴である。これで、パンがどのように見られていたか、幾分か理解していただけるのではないか。

 

しみじみと思い出すのだが、やはり買ったパンはうまかった。僕はしばしば親のがま口から小銭をくすねて、学校の帰りに店やに立ち寄って、甘いあんこが入ったパンを買い食いした。それは無上の楽しみで、今にして思えば、干からびかけて中毒をおこしかねない古パンだったが、世の中にこんなおいしいものがあるかと思って食べたものである。

 

今回の道徳教材でのパンから和菓子への差し替え騒動では、今もパンに対する特殊な思いが、日本人の中に底流として存在することを図らずも教えてくれた。パンと、和菓子、ご飯。この考え方の違いの真ん中にくっきりと横たわるのは、先の戦争、敗戦である。パンは戦争に負けたことの一つの象徴として映るのだ。

ちなみに今の僕は、パンも和菓子もご飯も大好きである。和洋もへったくれもない。うまいものはうまいのだ。