丸山修身のつれづれ日記

シェイクスピア・カンパニー脚本構想でも御協力いただいている作家 丸山修身(まるやまおさみ)さんの月刊コラムです。(バックナンバーはこちら



本コラムが本になりました!

『青草の道』(鳥影社、2016年4月5日発刊)

 

本書は、これまでのコラムに手を加えて一冊の本にまとめたものです。

「ふるさと茫茫」「びっくりすること」「歴史のほとりにて」「いじらしき日々」「文学と演劇の言葉」の5章から構成されています。

著者曰く、「僕個人の体験を語りながらの一つの時代史と思っていただいてよい。田舎での幼い頃の暮らしと比べると、現在、東京で別世界を生きているかの感があるのである。それほど変化の激しい時代であった。団塊の世代の一人としてそれを記録しておくことは大きな意味があると考えた」とのこと。

ぜひお読みください。(アマゾンのページで詳細を見る


更新日時 2018年6月23日 

 

 

幼児虐待・鬼畜の所業

丸山修身

 先日6月7日、新聞に、幼い女の子が書いた短い文章がのった。悲しい、かなしい文である。引用する。

 

    もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから きょうよ

         りかもっともっと あしたはできるようにするから もうおねがい 

         ゆるして ゆるしてください おねがいします

          ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして きのうぜんぜん

         できなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおす

          これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたい

         だから やめるから もうぜったいぜったいやらないからね ぜった

         いやくそくします

          あしたのあさはぜったいやるんだとおもって いっしょうけんめいやるぞ

 

 五歳の船戸結愛(ゆあ)ちゃんが、両親によって虐待死する前にのこした文である。僕は近頃これほど哀切な文を読んだことがない。

 どうして無抵抗な幼い子を虐待して殺すなどということをするのだろう。僕が近頃の世相で最も心を痛めているのは、幼児虐待である。なんとも言えぬ切なさに襲われるのだ。無抵抗な幼い命を、一方的にいじめ殺すなんて。

 部屋には電灯がなく、また暖房もなかった。そんな中、一日一食しか食事を与えられない日があり、毎朝四時頃に起こされて平仮名の勉強をさせられていたという。そして、勉強せず寝たので暴行を加えたというのだ。相手は五歳ではないか。まさに鬼畜の所業である。平均体重20キロのところ、二歳児並みの12キロしかなく、足には凍傷があったそうだ。

 かわいそうな、かわいそうな、結愛ちゃん。

 

 虐待した男は実の父親ではない。妻の連れ子、もっとも虐待が多く発生するケースである。しかし実の子でないからといって、差別して虐待するようなやつはまともな人間ではない。もっとも唾棄すべきヤカラである。

 江戸時代の絵師であり、また蘭学者でもあった司馬江漢(1738―1818)は「人は獣に及ばず」といったが、まさにそれを目の前に見る思いがする。こういう犬畜生にも劣る人非人は必ず地獄に墜ちて、鬼どもに永遠の責苦を味わわされることになる。

 一方、母親の方は何をやっていたのか。お腹をいためた我が子が虐待され、衰弱し、死に至るのを傍観していたわけである。これ又まともな人間とは思われない。僕には神経がおかしいとしか考えられないのだ。

 犬や猫でも、誰に教えられた訳でもないのに、我が子は死に物狂いで守ろうとするではないか。

 

 はっきりと推測できることがある。それはこの男も女も、まともな育ち方をしていないだろう、ということだ。つまり育ってくる過程で、親の愛を受けていない。自分を心底から守ってくれるような、無私の愛情である。多くの人は、強く意識することはなくても、その幸福な思い出に支えられて生きているのである。それがこの男女には欠けていたのだと僕は思う。そうでなければ、あんな残酷なことはできる訳がないのだ。

 

 一番かわいそうに感じるのは、この虐待情報は児童相談所に把握されており、しかも二度も実際に保護されていたことである。病院や警察も知っていた。色々な事情はあろう。しかし僕が推察するところ、おそらくこの件を担当した児童相談所の職員はしっかり仕事をしていない。逃げている。面倒に思い、他の部署に移動すれば無関係になる、とでも考えたのではないか。最も醜悪な役人意識による怠業、手抜きである。これは幼児を見殺しにしたという点で、ほとんど親と同罪だとさえ僕は思う。

 僕はこの件を直接担当した職員の名前を公表し、何があったか経緯をすべて明らかにすべきだと考えている。そうでなければ、また同じような事件が起こるだろう。こういう幼い命に直接関わるような事件は、法律がどのように変わろうと、結局は対応する職員の心構え、気魄(きはく)なのだ。事なかれ主義で逃げていては、殺人に手を貸すことになる。大変とは思うが、盾(たて)になって幼児を守るという気概で、ことに当たってほしいものだ。

 

 この両親は死んで地獄に墜ちる。そこには鬼の姿をした恐ろしい獄卒が待ち構えていて、永遠の責苦を負わせることなる。

 日本でも西洋でもそうだが、人間にとって最大の苦しみは、永遠に死ねないことである。死んで苦しみから逃れ、ほっとしているとまた生き返らされて、鬼どもに終わりなき苦しみを味わわされることになる。死は救いなのだ。

 例えばそんな地獄模様を描いたものに、日本では平安時代中期の天台宗の僧・源信(恵心僧都 942-1017)の『往生要集』があり、西洋ではイタリア・フィレンツェが生んだ大詩人、ダンテ(1265―1321)の『神曲』がある。

 

『往生要集』では地獄の一つに「等活(とうかつ)地獄」があり、ここは人や動物の殺生(せっしょう)をした者が墜ちるところである。

 

  この中の罪人は、互いに常に害心を懐けり。……おのおの鉄爪を以て互い

  につかみ裂く。血肉すでに尽きて、ただ残骨のみあり。……獄卒、手に鉄杖、

  鉄棒をとり、頭より足に至るまで、あまねく皆打ちつくに、身体破れ砕くる

  こと……或は極めてするどき刀を以て分々に肉を割くこと厨者(ちゅうしゃ

  ー料理人)の肉を屠(ほふ)るが如し。

       源信 『往生要集』 岩波文庫

 

 罪人は死んではまた生き返ることを繰り返す。この様は昔、地獄絵として生々しく掛け軸に描かれ、盆になると飾られてみんなで見たものである。そして炎の中に血が噴き出し流れる地獄の恐ろしさに打ち震えたものだ。むやみに命を殺すとこういう地獄に墜ちる羽目になる、ということを無言のうちに刷り込まれた訳だ。

 

 またダンテは古代ローマの大詩人ウェリギリウスに導かれて地獄の門を入る。ダンテはそこで、多くの生前見知っていた人間の亡霊に会う。

 

  ここでは溜息や泣声や声高の叫びが、星もない空中に鳴り響いていたから、

  はじめ私は思わず涙ぐんだ。奇怪な言語、恐ろしい叫び、苦悩の言葉、怒り

  の声音、高い声、かすれた声、それにまじって手を打つ音、そうしたものが

  騒然たる音をたてて、時のない闇にぬられた大気の中を、はてしなく回って

  いる。まるでつむじ風に吸い込まれた砂のようだ。

       ダンテ『神曲』地獄篇第三歌  平川祐弘訳

 

 幼児虐待は昔から日本でも西洋でもあった。それは継子(ままこ)いじめの童話によく表れている。しかし罪人から血が噴水のように噴き出す凄惨な地獄絵を思い浮かべることが、その幾分かの歯止めなっていたのである。

 

 僕の家は浄土真宗の門徒であったが、母親は常々、生きている時にたくさん苦しんだ人ほど死んで極楽にいくのだ、と言っていた。そして阿弥陀(あみだ)様がそばに置いて、やさしく見守ってくださるのだという。そこにはきれいな鳥がさえずり、美しく花が咲き匂い、清らかな水が流れ、妙なる音楽が鳴り響き、涼やかな心地よい風がいつも吹いているという。

 結愛ちゃんもぜひそうあってほしい。いや、きっとそうなるだろう。幼くして、たくさんたくさん苦しんだのだから。

 かわいそうな、かわいそうな、結愛ちゃん。結愛ちゃん、極楽、天国に行け!