丸山修身のつれづれ日記

シェイクスピア・カンパニー脚本構想でも御協力いただいている作家 丸山修身(まるやまおさみ)さんの月刊コラムです。(バックナンバーはこちら



本コラムが本になりました!

『青草の道』(鳥影社、2016年4月5日発刊)

 

本書は、これまでのコラムに手を加えて一冊の本にまとめたものです。

「ふるさと茫茫」「びっくりすること」「歴史のほとりにて」「いじらしき日々」「文学と演劇の言葉」の5章から構成されています。

著者曰く、「僕個人の体験を語りながらの一つの時代史と思っていただいてよい。田舎での幼い頃の暮らしと比べると、現在、東京で別世界を生きているかの感があるのである。それほど変化の激しい時代であった。団塊の世代の一人としてそれを記録しておくことは大きな意味があると考えた」とのこと。

ぜひお読みください。(アマゾンのページで詳細を見る


12時31分の古時計

更新日時 2019年1月20日 

作家 丸山修身
  

 『大きな古時計』という童謡がある。僕が大好きな歌で、こういう歌詞である。

 

      大きな古時計      

保富康午作詞
ヘンリー・クレイ・ワーク作曲

 

  大きなのっぽの古時計  おじいさんの時計
  百年いつも動いていた  ご自慢の時計さ
  おじいさんの生まれた朝に  買ってきた時計さ

 

  いまはもう動かないその時計  百年休まずに
  チク タク チク タク  おじいさんといっしょに
  チク タク チク タク  いまはもう動かないその時計
           
  何でも知ってる古時計  おじいさんの時計
  きれいな花嫁やってきた  その日も動いていた
  うれしいこともかなしいことも  みな知ってる時計さ
           (中略)
  真夜中にベルが鳴った  おじいさんの時計
  お別れの時がきたのを  みなに教えたのさ
  天国へのぼるおじいさん  時計ともお別れ
           (後略)

 

 時計に託して、人の誕生から死まで、歓びや哀しみが歌い込まれている。その歌詞が僕はしびれるほど好きである。何よりも、声高に叫ばず、しみじみと語るような調子がいい。これぞ人生、と感じさせるのだ。

 

 話はとぶが、今僕の部屋にも、田舎の家から持ち帰った大きな振り子式の古時計が掛かっている。高さは80センチぐらい、幅は文字盤の木の外枠のところで50センチほど、重さは7,8キロあるだろう。円形の文字盤はもともと白かったものが、古びてほとんど焦げ茶色になっている。そしてもう三十年以上、時計としては機能していない。止まっているのだ。

 

 五年ほど前に信州の田舎の家を取り壊した時、残してあるものをどう処理しようかと考えた。一般には大切に思われるもの、例えば父が保管しておいた僕の卒業証書や成績表などは、けがらわしい過去を見るようで、真っ先に細かく破いて焼き捨てた。そんな僕がたったひとつ欲しかったものがある。動かないままに茶の間の柱に掛かっていた古時計である。
 なぜこの時計だけがほしかったのか。それはこのなんでもない古時計に、僕の人生の核となる時間が塗り込められていると感じたからだ。幼い頃の時間は濃密である。これは誰にも思い当たることだろうと思う。

 

 時間とはいったい何なのか? この問題はギリシャの哲学者アリストテレス以来、フランスの哲学者H・ベルクソン、G・プーレなど多くの人によって論じられてきた。時間にも二種類が存在する。一つは時計の進行によって表現される、きっちりと定まった「物理的」時間。もう一つは人の内部で伸びたり縮んだりする「人間的」時間である。たとえば、同じ一時間でも、ひどく長く感じられる時もあれば、あっという間に過ぎる一時間もある。それが人間的時間である。文学とか演劇は、この人間的時間が流れる世界である。

 

 我が家に時計は一つしかなかったから、高校に入学して家を出るまでの十五年間、この柱時計を見ない日はほとんどなかった。その中で一番の時計にまつわる思い出は楽しいことではなかった。
 あれは中学三年の春のこと、僕はひどい不眠症にかかった。きっかけは父親の鼾(いびき)であった。当時僕は父親と二人で、ちょっと布団を離して六畳ぐらいの寝床部屋に寝ていたのだが、おやじのイビキがひどく気になるのである。そのため眠れない。眠ろうと気にすると、尚更いけない。気にしないように努めることが、既に気にしている証拠なのだ。挙げ句、この悪循環におちいり、毎夜不眠に苦しむようになった。
 僕の苦しみをよそに、おやじはまったくのんきに大口をあけてイビキをかき続けている。腹がたって揺り動かすといっときイビキはとまるが、すぐにまた前にもまして大きなイビキをかき始める。それはわざとやっているように感じられ、見ていると猛烈に腹がたち、殺してやりたくなったものだ。
 しかし結局は僕の方が降参して、ついには寝床部屋を脱出した。そして布団を抱えて新しい寝場所を求めて家の中を転々とした。先ず行ったのは座敷だ。しかしここは静かだが、仏壇があるからダメだった。僕はもともとひどく臆病で、夜中に仏壇の奥から幽霊が出そうな気がするのだった。さらに南向きの三畳の小部屋。中門の二階部屋、土蔵との間の渡り廊下の上の部屋。縁側の隅の暗がり。しかしどこも、お化けがでそうで、怖い。眠ろう眠ろうとするからますます眠れない。
 すると、あの柱時計が、ボーン、ボーンと鳴り始めるのである。二つ、三つ……。このようにしてやがて外が白々と明けてくると、なんと心細かったことだろう。他人に救いを求める訳にはいかず、世の中の営みからはじき出されたように感じられる。仲間達から遠く置いていかれたような心の寒さだ。
 不眠は切ないものである。今になって思い返すと、これは明らかに僕の精神の方に問題があった。父親のイビキは前からあり、それが急に気になるようになったのだから。これは後に僕の宿痾(しゅくあ)となった、季節性の鬱の始まりであったようだ。毎年、春先二ヶ月ほど、体がだるく、気持ちが落ち込むのである。
 こんな夜、僕はずっと時計の時間を気にして苦しい時間を過ごした。僕にとって柱時計が示すのは、物理的時間であると同時に極めて人間的な時間であった。苦しかった自分をもっともよく知っているのは、この時計だと思われるのである。

 

 もちろんこの時計の下では楽しいこともあった。いちばん思い出すのは、父も母も元気で生きていた、幼い日の大晦日、年取りの夜である。外は二メートルぐらいの雪に埋もれている。そんな中、両親、兄弟十人が揃って茶の間に集い、鮭の切り身や真っ赤な酢蛸がのった膳を前にして円くなり、年越しをしたものである。カイコを飼うために天井は高く造られている。そのため火鉢一個の部屋はひどく寒かったが、心は温かであった。そんな田舎の一家のたたずまいを、古びた柱時計が振り子を揺り動かしながらじっと見下ろしていた。あの家族の殆どは亡くなり、幸福だった時間はもう二度と戻らない。

 

 この古時計、今も油をくれて修理をすれば立派に動くはずである。僕は時々、下の蓋を開けて振り子を動かしてみる。すると昔そのままの健気(けなげ)な音をたててしばらく左右に振れ続ける。そして正時(しょうじ)にくると、ボーン、ボーンと昔とまったく変わらない音でリズミカルに時刻を打つ。
 田舎にあった頃は気づかなかったが、それはびっくりするほど大きな音だ。考えてみれば当然なのだ。家中に時を知らせていたのだから。この時計が止まったり遅れてきたりすると、箱台にのってネジをくれるのは僕の仕事であった。
 『大きな古時計』ではないが、まさに「うれしいことも、かなしいことも、みな知っている時計」である。12時31分で息をひそめて、今この瞬間も、じっと僕の部屋の隅に生きている。