丸山修身のつれづれ日記

シェイクスピア・カンパニー脚本構想でも御協力いただいている作家 丸山修身(まるやまおさみ)さんの月刊コラムです。(バックナンバーはこちら



本コラムが本になりました!

『青草の道』(鳥影社、2016年4月5日発刊)

 

本書は、これまでのコラムに手を加えて一冊の本にまとめたものです。

「ふるさと茫茫」「びっくりすること」「歴史のほとりにて」「いじらしき日々」「文学と演劇の言葉」の5章から構成されています。

著者曰く、「僕個人の体験を語りながらの一つの時代史と思っていただいてよい。田舎での幼い頃の暮らしと比べると、現在、東京で別世界を生きているかの感があるのである。それほど変化の激しい時代であった。団塊の世代の一人としてそれを記録しておくことは大きな意味があると考えた」とのこと。

ぜひお読みください。(アマゾンのページで詳細を見る


スポーツ応援と新型コロナウイルス

更新日時 2020年3月14日 

作家 丸山修身
  

 新型コロナウイルスがWHO(世界保健機関)によってパンデミックとみなされ、世界各地で猖獗(しょうけつ)を極めている。その影響はスポーツに及び、春の甲子園大会は中止となり、大相撲は無観客開催である。その他多くのスポーツで様々な対策がとられていることは、みなさんもよくご存じだろう。この苦しい状態はおそらく春の終わり頃までは続くのではないか。

 しかしピンチは逆にチャンスにもなり得る。今回はそんなことを書いてみたい。

 

 先日3月13日の読売新聞朝刊に、「プロ野球・J連絡会議 専門家の意見書要旨」というものが掲載された。プロ野球とJリーグが一緒になって、ウイルス感染を防止するための具体策をまとめたものである。その中で、応援の仕方について次の行為を戒めているので、それを簡単に紹介する。

 

     リスク高

[飛沫感染] ジェット風船、指笛、トランペットなどの鳴りもの、メガホンを打ち鳴らしての声援、両手をメガホン代わりにした大声での応援

[接触感染] 肩を組む、跳びはねる、立ったり座ったりを繰り返す、大きい旗の下で密集状態で旗を動かす、ハイタッチ、手旗をふる

     リスク中

応援団の指揮により自席で手をたたき歌う、太鼓リードによる声援、拍手

 

 以上である。つまりこれは、大声を出して唾を飛ばしたり、他人と体を密着し合うな、ということだ。

 

 よく言ってくれた、と僕は真っ先に思った。これをコロナウイルスが流行る前から言ってくれたらどんなに良かっただろう。というのは、僕は絶え間なしのうるさい応援がイヤでイヤでたまらない。なぜか。それをこれから野球を例にとって書いてみたい。

 野球にしぼるのは、僕にもかつて、プロ野球選手を夢見て練習に明け暮れた日々があったからである。野球を始めた小学生の頃、まだ王貞治は芽を出しておらず、僕の憧れは打者では長嶋茂雄、投手では西鉄ライオンズの稲尾和久であった。ちなみにサッカーは、中学と高校の体育の授業でちょっとやったぐらいである。

 

 野球場には様々な音が流れる。その中で僕が特に好きなのは打球音である。バットの真芯でとらえた打球は、なんともいえぬ乾いたいい音を発して空中に舞い上がる。それがホームランになったり外野の間を抜けていったりした時は、しみじみと球場での観戦の歓びを感じるのだ。それから投手の快速球がキャッチャーのミットに収まる時の、ズボっという音。それでボールの威力が分かるのだ。

 しかしひっきりなしに笛、トランペットなどの鳴りものが響いていると、この耳の楽しみを味わうことが出来ない。その結果、僕は次第に球場に足を運ばなくなっていった。特にプロ野球はここ十年ほどご無沙汰である。大学野球は観客が少ないせいもあってプロ野球ほどうるさくはないので、年に数試合は神宮球場に見に行くが、これも最近はけっこううるさい。

 それから忘れてはならない昔の音にヤジがある。実に当意即妙、ヤジ名人のような人がいたのだ。きつい中にもユーモアがある。そのヤジがよく響くのだ。この時はスタンドにどっと笑いが起こった。また、今なら問題となるような民族差別的なヤジも飛んだ。また、性的なヤジもよくあった。おそらく酔っ払っていたのだろう。

 ヤジも最近はまったくといっていいほど聞かれない。大音声でドンチャンドンチャンと絶え間なく鳴り響いている中では、ヤジを飛ばす気にもなれないだろう。本当は、よいヤジは野球の華(はな)なのだが。

 のべつまくなしの応援騒音については、球界の大久保彦左衛門と呼ばれた往年の大投手・別所毅彦氏(1922~1999 通算勝利数310 野球殿堂入り)が、早くから何とかすべきだと警鐘を鳴らしていた。ゴルフではパットの時、きびしく静粛を求められる。ゴルフまでとはいかなくても、野球もピッチャーの投球の瞬間ぐらい静寂がほしい。少なくとも僕はそういう野球を求めている。そうであれば僕は球場にいって生で試合を見たいのだ。

 

 この事態にはおそらくサッカーの影響もあるだろう。しかし野球とサッカーは違う。サッカーは一瞬にして攻撃と守備が入れ替わるから、気を抜くことが出来ず、応援も絶え間なしになることが理解出来る。しかし野球はイニングごとに攻守が交代し、また、ピッチャーが投げる前に考える時間がある。だから2月に亡くなった野村克也は「野球は間がある。だから頭のスポーツだ」といっていた。もちろんサッカーにも頭は必要だ。ただその使い方が違っている。

 応援する方は、おそらく野球を見るというより、集団で盛り上がることが楽しいのではないか。一種の群集心理、集団陶酔である。これは野球にとって邪道だと思う。ロッテや横浜の応援など、僕は薄気味悪くさえ感じる。絶対に行きたくない。観客には様々な人がいる。少しは他人のことも考慮してもらいたいと願う。

 ここには実によく現代の劣化した日本が現れている。僕はつくづくアメリカの野球がうらやましい。じっと見て試合に没入し、声だけで応援している。したがって好プレーが出た時、球場全体が自然にわーっと盛り上がる。これぞ野球の醍醐味でないか。アメリカは野球の伝統と格式を守っている。野球を真に楽しむ術を知っている。やはり本家、僕はそれを実に素晴らしいと思うのだ。

 

 そんな僕が今いちばん楽しみにしているのは、大学野球の練習試合である。隣の府中市に明治大学硬式野球部の立派なグラウンドがあって、シーズン前になると他大学や実業団のチームと練習試合を行う。僕は自転車で20分ほどかけて見物に出掛けるのだが、さすがに六大学となると、甲子園で活躍した新人も登場して実に面白い。ここでは鳴りものは一切無い。みんなバックネット裏の観客席でひたすら野球を見るのみである。

 ここではバットの快音をはじめ野球に伴う様々な音をくっきりと生で味わうことも出来る。ベンチの声もよく聞こえる。上手下手より、これぞ僕が望んでいる野球なのだ。人間くさい野球が好きなのだ。

 ここでちょっと脱線するのをお許し願いたい。今年明治大学からドラフト一位で森下暢人(まさと)投手が広島東洋カープに入団した。彼は甲子園にこそ出なかったが高校時代から評判のピッチャーだったので(大分商業高校)、僕は入学時からずっと注目して見ていた。

 彼はスピードもあり変化球も素晴らしいが、簡単に点をとられる悪癖があった。打たれ出すとあっという間に三、四点取られるのである。その度僕は、小さな声で、愛情をこめて、「このバカ! このバカ!」と叫んでいた。それが四年で主将となり、粘り強く成長した。

 森下くんには是非活躍してもらいたい。今年はいちばん注目して応援したいと思う。ぜひ10勝以上あげて、新人王をとってほしい。その力は充分ある。  

 ただ心配がひとつ。森下くん、色白で目がぱっちりして鼻筋が通り、野球選手にはもったいないほどのイケメンなのだ。性格も温和そうで、僕はひそかに「明治の光源氏」と呼んでいた。だから女の方も心配なのだ。森下くん、「カープ女子」にはくれぐれも注意ですよ。

 

 新型コロナウイルスは大きな災いである。しかしこれをきっかけに、少しでも誰もが楽しめる静穏な野球が甦ってほしい。災い転じて福となす、とはまさにこのことである。